「君の膵臓をたべたい」キミスイの名言「人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるんだ」ネタばれ無し

目次
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君の膵臓をたべたい-人に食べてもらうという事

肝臓が悪い人は肝臓(レバー)を食べるといいといいます

身体の悪いところを直すのはその部位を食べることによって蘇えるのでしょうか

しかしそれは肉体を食べて肉体を治すという事ですよね

「君の膵臓をたべたい」の中では肉体だけではなく

魂も生き続けることができるといっています

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人の中身は何

人は肉体でできています

あたり前だ!!

っていわれそうですが肉体だけではなく

人は

生物としての物質(肉体)と

心と

この3つで構成されているのです

人の体が死んでも魂は生き残る

しかし体が死んでしまえば意識がなくなり

肉体が死ぬということは自分とのお別れということになってしまいます

できれば長い人生を歩んでいきたいものですね

そのために心があり

良い心があれば

良い人生のための良い行いができるという事です

そして少しでも長い人生を歩むことになるのです

心は魂と肉体のつながりのために頑張ってくれるものなのです

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人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるんだ

「君の膵臓をたべたい」の主人公の山内咲良役の衣浜辺美波が言っている言葉の中で

こんな言葉がありました

人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるんだ

この小説や映画のタイトルもホラーですが

この言葉もホラーです(笑)

しかしこの言葉の中には

とても深い意味が隠されていると

そう僕は思うのです

冒頭に書いたように

身体の悪いところと同じ部位を食べると体が回復すると

そんなことが良く言われます

しかし魂は人に入りこんだ

形のない

物質ではない

そんなものなのです

しかし体が滅んでも魂は生き続ける永遠のもの

たとえばです

僕の魂をだれかに食べてもらうということは

僕の思考(考え)をとても良く思い

僕の生き方(考え)を理解してもらえる

そんなふうにとらえればいかがでしょうか

僕を好きになってくれたり

僕を理解してくれたり

僕を大切に思ってくれるということは

そう思ってくれた人にとって

僕という存在がとても大事である

ということになるので、、、、、、

ということは僕という人間が

その人の中で永遠に生き続けるということになります

たとえ僕が死んでも

その人が生き続けている限り

僕の存在はその人の中で生き続けることができるのです

僕という言葉をあなたに置き換えても全く同じこと

あなたは誰かの中にずっと生き続けることができるのです

あなたがたとえ死んでも魂は生き続けることができます

だから体が死んでも魂は永遠に誰かの中で生き続けるのです

誰かからまたその次の誰かへとリレーのように続いてゆくことだって可能なので

人に食べてもらうということは

人に僕の体を食ってもらうことではなく

僕の魂を飲みこんでもらうことなのです

その人の体の中に僕の考え方が浸透すること

ハイ、、、、、

それってとても素敵なことで、、、

それってとてもうれしいことです

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真実挑戦ゲーム

映画の中で盛んに遊んでいるゲームがあるのですが

それが真実挑戦ゲームというもの、、、、

真実とは現実にありうることで

挑戦とは現実離れしたことと思えばいいでしょうか

挑戦は、現実離れはしているが

なったらいいなって、、、、

あったらいいなって、、、、

夢であり

希望であり

理想であり

それをかなえるには

今の真実のままでいてはダメ、、、

空を飛ぶような気持ちで

現実からある意味逃避して

好きなことや

やりたいことや

手に入れたいことに向かって

挑戦すること

だから人生をまるでゲームのように挑戦するのです

それができれば魂は大好きな人が食べてくれるのではないでしょうか

魂を食べてもらうには

常に好きな物事を実現させて生きていたいという

そんな挑戦的な生き方をすることです

僕はあなたの魂を食べたいです(笑)

浜辺美波,北村匠海,キミスイ,君の膵臓をたべたい,真実挑戦ゲーム

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