宇宙に命はあるのか★あの「何か」とは小野雅裕NASAでの体験と人類の行き先

目次
デコドルフィンの作品が買える店
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宇宙に命はあるのか

始めに言っておきます、僕はこの本にNASAの人の活躍や苦労話など求めてはいません

知りたいのは「何か」だけである

読売新聞の本の宣伝欄(新聞の下の部分)にこの宇宙に命はあるのかが掲載されていたのは2018年2月のこと2月の15日に初版が発売されたばかりです

こんな言葉に僕の目線が釘付けになってしまいました

私たちはどこからきて、どこへいくのか?

著者は小野雅裕という人

NASAの中核で活躍する人

しかもSB新書、、、、新書か、、、、

烏有兄弟の小山宙哉絶賛

こんな感じの内容がかかれていた

早速僕はいつものようにスマホでamazonを見てみる

気になる本はいつもこうして評判を調べてみるのです

しかし今日の時点(2018年2月20日)で

アマゾンの書評は

★★★★★23

なんで、、、なんで、、、??

まだそんなにたくさんの人が読んでないでしょう、、、

と思いながらアマゾンのカスタマーレビューなるものを観てみると

星5つが23で100%星5つ

しかも一番早い書評の日付が2月6日である(もちろん2018年です)

発売日より10日ほど早いではないか

不思議ですね????

それはともかくみんなベタ褒めですね

僕は速攻でこの本を購入した

僕が読みだして一番気になったのは

あの「何か」という言葉が冒頭から繰り返し語られていることであります

アーサー・C・クラークの長編小説の「幼年期の終わり」と同タイトルの第一章も気になるのです

しかし第一章はロケット開発者のフォン・ブラウンのことが中心である

ヴェルナー・フォン・ブラウン

科学者

ヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル・フォン・ブラウンは、工学者であり、ロケット技術開発の最初期における最重要指導者のひとりである。第二次世界大戦後にドイツからアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行った。旧ソ連のセルゲイ・コロリョフと共に米ソの宇宙開発競争の代名詞的な人物である。 ウィキペディア

生年月日: 1912年3月23日

生まれポーランド ビジスク

死亡: 1977年6月16日, アメリカ合衆国 バージニア州 アレクサンドリア

映画スプートニク・マニアThe Search for TruthFrozen Flashes

受賞歴NASA Distinguished Service Medalさらに表示

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第一章幼年期の終わり

フォン・ブラウンは宇宙への夢の実現のためにヒトラー率いるナチスドイツに協力したという話です

その後敗戦したドイツ軍からアメリカへ鞍替えしたのです

ロケット開発の情報を見せつけながら、、、、、、

ドイツ軍のロケット開発技術は時を同じくしてソ連にも渡っていた

そしてフォンと同じ立場の宇宙にあこがれる科学者がソ連(現ロシア)にもいたということですね

スプートニクは宇宙に飛び立つことになりました

ここで言う「幼年期の終わり」とは

宇宙への一歩のことであり

今の人間社会の未熟さからの人類の進化のことではなかった

(僕にとっての幼年期の終わりとは人類の精神的な進歩のことであり科学の進歩ではない)

僕はとてもがっかりしてしまった

いったいこの本は僕をどこへ連れていってくれるのでしょうか

第二章小さな一歩

NASAの話がほとんどで

時代背景とかかわった人々の話がほとんど

ゥゥっ~~~~つまらない!!!

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第三章一千億分の一

果たして、、、、、、

僕が楽しみにして

僕が望んでいる

「何か」の話は出てくるのだろうか、、、、、、

誰も見たことのない地球からはるか離れた場所のことを

人は今までに知るすべを知らないで来ている

それなのに人は自分たち以外の知的生命体を否定する

地球外の生物の存在すら認めない

そんな愚かな人類

まだまだ未熟で愚かな幼年期の人類社会

NASAの人間が一体どんな意見をひっさげてこの本を執筆しているのか

この章のタイトルの一千億分の一とは

銀河系の星(惑星)の数太陽系の惑星の数らしいが、、、、

そこ(宇宙)に何かがいるに違いない!!!

カールセ―ガンさん、、、、

地球の偉大な降格

何???

降格とは地位が下がること

まさにこの「地」が下がるのだ

地球は唯一無二の存在だと信じていた昔からすると

地球以外の宇宙に何かがいるということは

地球の値打が下がるという事

つまり

地球の降格だということなのです

人類的な生物は地球以外には存在しない

ということであれば地球は偉い

もし地球以外に知的生物(人類みたいな生きもの)がいれば

地球は降格ってことになるわけですね

しかしこの三章もなんだかよくわからない

ボイジャーの話とか昔のSF小説の話とか

H/G/ウェルズの「宇宙戦争」などなど

デジタル写真がまだない時は大変だったとか、、、、、、

火星にはエベレストの何倍もある高さの山があるとか、、、、

なんだかなんだかなんだか、、、、、、

全然面白くないではないか

本体がない

まだ前座なのか?

たまにいいことを言うが核心ではない

たとえばこんなこと

「ベートーベンは自分がロックンロールを知らないことを知ることができただろうか」

とか

「知らないことを知るということはイマジネーションだ」

とかである

なんせ人類は宇宙のことをバクッといっても

一千億分の八しか知らないわけだから

これは99%は仮説であるどころの話じゃない訳であって、、、、

だからイマジネーションの火を絶やしてはいけないのである

確かにその通りですよね

だけど「何か」の話を早くしろッて、そう思いませんか

宇宙は、自然は、命に知られることを必要としているのではないだろうか

たまにこんな詩人になるし

わ~~

命の賛歌

って言う2ページに及ぶロマンチックな詩で第三章は終わってしまった

第四章Are we alone?

我々は孤独なのか?ッて感じですね

人類が生まれてこの方我々は40億年もの間孤独である

確かにそうである

人類は隣人として交流できる存在をいまだかつて探すことができないでいるのです

「我々は宇宙人である」って話しかけてくれるのは

ドラマや小説の中だけなのです

このまま人類が消滅してしまったら

人類の思い出のアルバムや人類が生きてきた証拠は

いったい誰が護ってくれるというのか、、、、、、、

そこでだ

ここで生命とは何か?

ッていう疑問を投げかけてくる

この作者である小野雅裕は、、、

人は果たして生命の定義を知っているのだろうか

生命とは何ぞや?

実は人は生命の定義すら知らないという

今僕がブログを書いているこのパソコンは

動いているが生命ではない

鉢に植えられた植物は

動いていなくても生命である

このような例をあげて人は生命か生命でないかを判断できるのは

生命とは「帰納的概念」であるという

帰納的とは定義ではなく具体例が先にあったということらしい

人が見たり触ったり存在を認識するものはすべて現象であるということなのです

生命も非生命も物理学的には境界線がない

しかし

コーヒーカップは呼吸をしない

人は呼吸する

これらはすべて現象で判断できるのです

呼吸をする

代謝をする

子孫を残すなどなど

生物は(微生物も含め)多かれ少なかれこのような現象が見られるのです

物と者の違いが現象で判断できるということですね

人が宇宙で「何か」に出逢った時に生命か非生命か見分けるにはどうすればいいのか

それは宇宙全体を知ることである

しかしこれはたとえ何億年かかっても不可能である

人類はまだ宇宙のことをほんのわずかしか知らないのだから、、

なんかちょっと面白くなってきましたよ(本の内容が)

しかしここまでの話は誰もがわかる内容で

要は「知ってるよそんなこと」的な話ですね

初めに書いたが

僕はこの本にNASAの人の活躍や苦労話など求めてはいない

知りたいのは「何か」だけである

生命と非生命の話ではなく

魂と心と何かの関係だ

今までの現象ではなく

何かの新現象

しかし第四章の話の中身は

レゴシステムとか火星に生命はいるのかとか

NASAがおこなったことの話が長く続くのです

人とイルカは地球外生命だったとバシャールも言っているではないか

それなのになぜ

我々はどこから来たのか

そこから話が進まないのでしょうか

それは地球外生物が見つからないからだと作者は言うが

人は地球外から来たんでしょ、、、、、、、、

宇宙は我々を試している

人類が進歩したかしていないのかを、、、、

で終わる第四章

未知への探索には人の歴史があり

昔は植民地開拓、今は宇宙開拓

それは人の野望なのか

単なる好奇心なのか

絶滅への恐れなのか、、、、、、

最後の3ページ

カール・セ―ガンのPale Blue Dotの短い文章がひときわ引き立つ

それは大宇宙から遥か遠くに見える淡い青色の点である地球の中で

数知れぬ人間の欲望がもたらしたものごと

そのあまりにも些細な小さな出来事に対する愚かさを物語っている

同時にホコリにすら見えないようなあまりにも微弱な存在である地球の姿を

果たして「何か」は見つけることができるのだろうか

広大な宇宙空間の中で

幼年期にも達していないのではないのか、、、この地球という星(惑星)は

「何か」を探して進化する

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第五章ホモ・アストロム

間違いなく「何か」は存在するだろうという

作者である小野雅裕は、、、、、

もう一つ確信できるのは

間違いなく「地球以外のあらゆる文明」はこの人間の文明より遥かに勝っているはずである

そう言っております

しかしこの地球の人類は果たして

地球外の生物と

さらには

地球外の文明と

接触することができるのだろうか(滅亡する前に)

これがこの章のテーマなのです

太陽系の外側にやっとの思いで出ることができたのですから

しかもやっとの思いで太陽系外の惑星の存在を確認できたような状態なのです

この銀河系内だけでも数千億個の惑星が存在するだろうにもかかわらず、、、

宇宙には数千億個の銀河系があるといわれている

数千億個 X 数千億個の惑星の数

それとは対照的な話ですが

この21世紀の地球に今持って「未接触部族」が100余りいるという

アマゾンやニューギニアに文明と一度も接触したことがない部族がである

世界的にこれらの未接触文明を保護するために一切の干渉を禁止しているらしいのです

地球は宇宙ユネスコに保護されていていっさい干渉するなと指定された

超原始的な生物が地球人なのか、、、、、、、、、、、、、、

ここから先は地球外生物の存在確立など

あらゆるデータをもとに解析する

あ~~あ~~暇だ、、、、、、、、

宇宙の広さや電波の速さや人は短気すぎるとか

そんなことが永遠と続くのですが、、、、

はっきり言ってつまらない

★★★★

しかし話は突然インスピレーションを催してきたのです

240ページから250ページごろにかけてから

もうすぐ第五章は終わりエピローグに向かいつつあるのだが

果たして人類の地球外文明との接触はいつ、どんな形で訪れるのだろうか、、

もしかしたら地球は

あまりにも平凡過ぎて相手にされないのかもしれない

もしかしたら地球は

時間が早すぎて結論を急ぎスゴているのかもしれない

もしかしたら地球は

戦争ばかりして危険すぎると思われ誰も近づかないのか

もしかしたら地球は

あまりのも幼い文明なので保護されていて守られているのを知らないだけ

もしかしたら地球は

というかまだ100年ほどしか待っていないではないか

宇宙はとてつもなくデカい

人類の寿命は????

人類はどれだけ待てるのだろうか????

いや待つのではない

人類が地球外文明に触れるために必要なことは

人類を永続的に生かす知恵だ

今のこの地球の環境は人が乱している

自然もしかり

科学の発展についていけずに

原子力の操作もろくにできない

作っただけで責任もとれない

そんな愚かな人類から脱却して

新たな考えのもとに延命することだ

相手が来る前に自ら滅びることを防ぐことが僕らのできることだ

イマジネーションを持つこと

テレパシーや時空間移動は必ずやできるはず

人が想像できることは必ずや実現できるのだ、、、、

何かは必ず待っているはず

彼らは必ず存在するはず

それも半端な数ではなくだ

1兆の1兆倍もの文明が必ず存在するはず

人類の成人式はホモサピエンス(ホモ・サピエンス知恵の人)から

ホモアストロルム(ホモ・アストロルムHomo・Astrorum宇宙の人)になり宇宙の人になる

進化する日

幼年期の終わり

そしてやがて人類は物質に支配されたこの3次元の世界から脱却して

精神が宿る次の世界二たどり着くのである

それは縛られた世界ではなく

物が移動しなくてもすべてが意志疎通する高次元の世界かもしれない

地べたをはいずっている蟻んこが想像すらできない天空の世界が

人類が今だに理解できない物質を超越した天空の世界が待っているのである

エピローグと僕のまとめ

ここで、いやここまで話して最後のエピローグで筆者(小野雅裕)はこう言っている

この旅で僕が伝えたかったことは何だったか、読者のみなさんはすでにおわかりだろう。

イマジネーションの力だ。

想像してみよう。その美しい星空に、淡い天の川の流れの中に、一千億の世界があることを。

そして最後にこの本の著者はこう〆る

必ず存在するであろう別の太陽系を想像し

想像してみよう、彼らが我々と同じようにその夜空を見上げ、想像に耽(ふけ)っている姿を。

想像してみよう。彼らが何を想像しているかを。    

                      ~完~

僕の結論ですまとめます!!簡単に、、、、、、

はっきり言って想像の範ちゅうのことしか書かれていませんでした

ちょっと残念であり、、、、

しかし、この作者は宇宙を相手に仕事をしている

その中で広い考え方を持って生きている

可能性を信じて想像力を働かせ生きているということがわかったことはよかったと思いました

しかし一番大切なことは

想像するのは体(肉体)ではなくである

人の想像力は人の中に宿る魂のなせる業であり

この広大な宇宙を想像し創造したのは魂であること

魂はこの太陽系以外の別の太陽系にも存在し

そのすべての魂と

僕ら地球人の体に宿る魂とは

同じ仲間であるということ

そして何より広大な宇宙の広さだけではなく

この世の中の時空間すべては魂の創造物であり

宇宙が創造される前から魂は存在し

魂が宇宙を想像し創造し

僕らの体の中の魂は宇宙創世の魂がそのまま生き続けて今に至っているのです

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