180cmをゆうに超えた身長の僕はそのころ新宿駅で山手線を降りて東口に向かってひたすら歩いていた
手にはB2サイズのHolbein(ホルベイン)のカルトンとリーダースダイジェストのデザイン講座受講の際送られて来た木製の画材入れのトランクとマジソンバッグを持って
スポンサーリンク
足元は14㎝のヒールのロンドンブーツとそれに合わせてツギハギに縫い合わせたセンターカットのブーツカットのGパン
これが定番アイテム
目的地は新宿三丁目にあるロック喫茶ローリングストーンだ
スポンサーリンク
当時私生活
伊勢丹に面した表通りを通らずに靖国通り方面に向かい
Topsを右折して紀伊國屋をすりぬけるコースがお気に入りで
そこから三丁目方面に抜けるのが僕の日課になっていた
高校三年の僕は東京タワーが倒れたら間違いなく校庭に突き刺さる高校に通う学生
そんな危ない場所にある芝公園の私服解禁の自由な高校に身を寄せる身分だった
そんな校則に縛られない自由がなかったらこんな危険な場所は絶対に選ばない
中学までひたすら野球部で頑張ったスポーツキャリアを捨ててまで
こんな危ない学校を選んだのには訳がある
それは校則にがんじがらめにされていた中学生活に嫌気がさすと同時に
僕の人生の目的が定まったためである
そのためにはこの危険な高校を選ぶしか無かったのだ
40年ほどたった今でもその目的は変わらない
そう、愛と自由の為に人生を送ることが僕の目的だ
だからこんな東京タワーに押しつぶされてしまうような危険な場所を選んだのだ
後に八王子市内にある美大に通うこととなるのだが
そのころの僕は美大のデザイン科を目指して代々木にあるゼミに通っていた
高校の授業が終わり代々木の予備校でデッサンやら色彩構成などの授業を受け
その帰りに必ずといっていいほど新宿の東口に足を運んだ
★
スポンサーリンク
★
当時の新宿
匂いが好きだった
新宿の東口に降りたとたん
なんとも言えない危険で甘酸っぱい空気が僕を包んでくれるんだ
新宿の東口には面白いモノがいろいろあった
面白い人であり
面白い場所であり
面白い物であり
そして何より面白かったのは
新宿の街そのものだった
新宿の街の匂い
新宿の街の温度
新宿の街の空気感
僕にとって大好物だったのは
新宿の街の雰囲気そのものなのである
東口界隈
僕がその魅力に幻惑されたきっかけは
今歩いている東口の伊勢丹裏の紀伊國屋を突っ切ったところから始まった
予備校のデザイン科で知りあった友達が
「ロックが好きなら行ってみるか?一緒に」
そういって二人で足を運んだ先
ローリングストーン
伊勢丹メンズ館がまだない時代
新宿末廣亭を左手に通り過ぎ
のちに僕の愛機となる
ニコンFのアイレベルファインダーを購入することになる
中古のカメラショップの付近にあったロック喫茶
それがローリングストーンだ
画材屋の世界堂があるのでこの辺はよく行った場所だった
新宿御苑が見渡せる広い通りに出る手前の右側に看板があり
地下に降りる目印となる
風の便りで場所を変えて今だに存在しているらしいが
何もかも変わり果てた今の新宿の街に似合うロック喫茶は
すでに死んでいる
いにしえの空気感が僕の体から無くなるような気がして
30年ほど足を運んでいない
おそらく二度と、、、、、、、、
デザイン科の予備校の友達は加賀の出身で誠という名で
自分で「加賀のマーボーと呼んでくれ」といって
ロック喫茶でのリクエストの際自ら匿名をそう書きこんでいた
彼のいで立ちはショートヘアーでスタッズ付きの乗馬ブーツのような靴に
スリムなブラックカラーのデニムパンツをはいていた
僕はというと冒頭で説明したいで立ちでロングヘアー
加賀のマーボウに対抗して
僕の匿名は
「蒲田のオカマ」
大田区在住の僕は当時女装をしたオカマちゃんが
やたらと蒲田に出没しだした時代だったので
自分的には全然違和感がないニックネームだった
エマーソンレイク&パーマーのキースエマーソンや
当時売りだし中だったガールズベーシストの走りのような
スージークワトロのヘアースタイルにあこがれていた僕は
ロングにしたヘアーに部分的にすきばさみでカットした
いわゆるウルフカットで決めていた
このスタイルは大学卒業までの僕のヘアースタイルの定番となった
そうそう、もう一つの定番のアイテムは
「学生街の喫茶店」がヒットしたガロのマークのようなサングラス
レイバンのティアドロップ
ガラス製のレンズはレイバングリーンといわれた色の濃いグリーンカラーで
室内の暗い場所でも外さずにいた
ストーンズ(正式店名はローリングストーン:僕らはストーンズと呼んでいた)は急な階段を下る地下にあった
ダークグリーンのサングラスと14㎝のロンドンブーツ
明かりが暗いロック喫茶への覚悟の階段だった
スポンサーリンク
ひと昔前までにぎわったジャズを中心としたライブハウスやジャズ喫茶は
このころ全盛期を過ぎ静かな余韻を残した存在として
僕らを迎えてくれてはいたが
僕にとってはピットインや木馬などの店はたまに足を運ぶような存在に過ぎなかった
ジャズが全盛の時代
多少の世代の違いはあっても歌声喫茶などの学生中心の賑わいもあったのであろう
僕らの時代は
そんなにぎやかな時代の後の廃墟化しつつある街
旬が終わった野菜か果物のような新宿の街
だから僕はこの新宿を愛することができたのだ
街そのものは若者文化のメッカだった高度成長期を終え
アングラ、反戦運動などの新しさやバイタリティーなどが消え去り
ある意味三無主義のヒッピー文化を迎えていたのだ
1970年代は間違いなく
そんな、祭りの後の排他的な構築物の残骸の中から生まれた
人類史上初めてのまったく新しい斬新な文化である
1980年代のバブル期を迎える前の
まるで当時の僕同様
予備校生のような時代
それが1970年代である
この時代がすべての今の社会の基礎を作ったことになるとは
誰も気付かなかっただろう
いや今でも誰も気づいてはいない
この僕以外は、、、、、、、
しかし僕にとってそんなことはどうでもいいことであった
今でもそれは変わっていない
なぜなら
僕の人生の目的は今でも同じだから、、、
愛と自由の為に人生を送ることが僕の目的だ
このころの僕を目覚めさせたのは
ヒッピーと荒井由実とムーディーブルースの曲
これが三種の神器だ
しかし僕はこれらに影響を受けたのではない
僕と考え方が似ている物を見付けただけだ
だから今でもこれらを愛し続けることができるのである
これだけは言っておきたい
高度成長時代が置いて行ったものは
愛と自由を求めるヒッピー文化だ
バブル時代が置いて行ったものは
夢と希望のないホームレスだ
このころの西口公園が超高層ビル群に変わりつつあった
1970年代
それは間違いなく僕を育ててくれた夢の時代だ
第2章へ続く、、、、、、、、
第2章↓
‘70年代の新宿の西口公園は宇宙の広さを教えてくれたが超高層ビルが教えてくれたのはちっぽけな人々の生きざまだけだ
第3章↓
スポンサーリンク