星と妙見さまの話始めます!宇宙の中に自分を置いてみると見えるもの

目次
星と妙見さまプロローグ

自分はどこから来たのか、宇宙の中に自分を置いてみるとすべてのモノのつながりが見えるような気がする、「なーんだ!神様ってじぶんのことだったんだ」たった一つの宇宙には本当のことは一つしかないんだけど、それを探しながら旅をすることが面白いんだ、生きるとは宇宙の仕組みを知ることであり、生きることは自分の家の近くをを散歩すること、だから散歩しながら宇宙の仕組みをだどるんだ、人生なんてただそれだけのものだからね

スポンサーリンク

呑川から本門寺を望む

近所の散歩は宇宙につながるスタート地点

何年ぶりだろうか僕は散歩のふりをして家を出た。歩きながら家の近くにある呑川(のみがわ)まで行きゆっくりジョギング態勢でスタートした、とてもスローペースでだ

本当に何年、いや何十年ぶりかもしれない

こんなふうに呑川沿いを走るのは、、、、

僕の地元は大田区の蒲田近辺で子どものころから池上本門寺という日蓮上人が亡くなった所といわれている日蓮宗のお寺がある場所で良く遊んだものだ

僕の家は日蓮宗であるが

子供のころはそんなことは関係なく良く本門寺で遊んだものだ

小学校と中学校で野球をしていたので本門寺にはただ遊びに行くというよりは子供広場で野球の試合や練習をするためによく行ったのである

自転車で行くこともあるが練習を兼ねてジョギングで呑川沿いを走っていったものである

そのころ昭和40年代にはジョギングなんていう洒落た言葉なんかなくマラソンって言ってたような覚えがある、短距離走のように全速力で走ること以外は十把一絡げ(ジッパヒトカラゲ)でなんでもかんでもマラソンって呼んでた時代だ

十把一絡げ(ジッパヒトカラゲ) も昭和の言い方か、、、、、、

そんな僕は大学時代や社会人になってからは地元から離れていたのだが

大人になって地元に帰ってきて来てからは、趣味のチャリでたまに池上本門寺にお参りに行ったりする程度だった

それでも2009年に僕のおばあちゃん(祖母)が亡くなるまでは車いすを押して月に一度ぐらいのペースで本門寺の五重塔と本堂と妙見堂に行って帰りに浅野屋のくずもちを買って来たものだ

僕は以前から毎日の軽い運動として本門寺とか多摩川の河川敷ぐらいは行かなきゃいけないと思いつつなかなか実行できずにいたのだった

最近ブログを書き始めていろいろな今までにやってきたことやこれからやりたいことなどを文章に書き始めている中で今自分が本当にやりたいことを考えているうちに近場のジョギングぐらいはやりたいなと本気で考えだして昨日やっと始め出したのがいきさつである

%e6%96%b0%e8%a6%8f%e3%83%89%e3%82%ad%e3%83%a5%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88-4_7

そんな僕は家の前から走りだすなんていう大それた勇気がなくとりあえず家の前から呑川までは散歩に見えるように歩いて行き

呑川に到着するなりそっと走り出したのである

しかし最初から無理は禁物、以前も急にジョギングを初めてぎっくり腰を再発させた苦い経験があったので、100m程度走っては歩くような慎重さで目的地の妙見堂まで行ったのだ

僕は目的地を池上本門寺の本堂や五重塔ではなく妙見堂にした

本門寺の五重塔は浅草の浅草寺と共に関東では有名な建物である

それに比べて妙見堂はとても比べ物にはならないくらい名が知られてはいないのである

しかし僕にとってはこの妙見堂は一番身近で大切なものなのである

だからこれから”星と妙見信仰”というテーマでこのブログに投稿していきたいと思う

この内容を投稿するということは僕にとって本門寺までジョギング(散歩ジョギング)することと同じくらい大切なことだからである

体と心のジョギング散歩だ

それでは徐々にいろいろな事柄を記録していくことにする

これは自分と宇宙の関係の話だ

スポンサーリンク

きっかけ

%e6%96%b0%e8%a6%8f%e3%83%89%e3%82%ad%e3%83%a5%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88-4_3

小学生のころに遊んでいた本門寺敷地内の子供広場↑

僕が物心ついた頃にはすでに我が家には”妙見さまがいらしたのである

それは縦横30cmx20cmほどのお堂を形作った木製の物である

その建具細工のような木のお堂のようなものはもちろん今でも茶の間にある

日蓮宗である我が家には仏壇があるのだが

妙見さまはその隣にいつも寄り添うように設置されている

僕は物心ついて仏壇に向かってお参りをするときには

いつもその妙見さまも一緒に拝んでいる

そういう家で育った僕は何の疑問のなく日々そのようにしている

客観的に見たらそれは不思議な光景なのかもしれない

核家族が当たり前になった今の時代では少なくなりつつある神棚も含めると

我が家には

神さま

仏さま

妙見さま

の3つの拝む対象物があるわけであるのだ

神様は玄関に設置してあるのだが

最近では台所の別の場所に簡単な場所を作ってあり

そこで毎日水を備えて

月に一度、小皿の塩を備えなおすような具合で対応している

僕は水を毎日取り換える役目をしていて

塩は母が変えることになっている

なんとなくそんなようになったのである

さて本題は妙見さまである

この記事を書くにあたって妙見さまが祭ってあるお堂を掃除して撮影した

これがその画像である

六光妙見のお堂の造りもの

中にはお札と御幣を収めてある 

表と裏

六光妙見のお札妙見さまのお札の裏面

この話はまだまだ先があり膨大な宇宙に広がる僕の散歩ジョギングと共にこれから先繰り広げられてゆくので

今日はここまでとする

次の記事は妙見信仰の始まりを書いていくことにする

星と光の物語★六光妙見の始まりの話

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket
Share on LinkedIn