おしゃれの極意は模倣犯!宮部みゆきの「模倣犯」の「殺人」を「着こなし」に置き換えてみた

目次
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おしゃれ好きは模倣犯

宮部みゆきの小説は読むのに覚悟がいる

長編が多く、状況説明が多く、展開が多いからです

だから覚悟して一気に読みきる覚悟がなくてはなかなか終わらない

しかし一度話しに引き込まれてしまうと最後まで読まないと眠れなくなるという厄介なものです

僕が今読み終わったのが「模倣犯」という殺人ミステリーなのです

なかなか面白い内容なのですが

今日はこの物語の話ではなく「殺人」を「着こなし」に置き換えた内容で書いてゆきます

そうです

着こなしの「模倣犯」の話です

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殺人は

それを完全犯罪にするために

過去の犯罪を模倣して企(くわだ)てる

着こなしは

それを完璧な自己表現にしたいがために

憧れのカリスマのスタイリングを模倣して着こなしを企(くわだ)てる

たとえそれが犯罪だとしても

たとえそれが自己表現だとしても

目的は違えど

自分が生きる目的のために

完全な自分を求めて行う行為には違いない

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シナリオを書く人=演出家でありスタイリスト

「一連の事件はね、ガミさん。大掛かりな芝居だよ。主犯は筋書きを書いているやつだ。栗橋じゃない」

模倣犯下巻P.442建築家の言葉

この引用文は決してネタばれにはなりません

最初から栗橋は殺人者として登場しますので、、、、

そしてガミさんとは刑事にことです

宮部みゆきの模倣犯の中では計画的な殺人が描かれています

シナリオライター的人間が殺人者のリーダーでもあります

実際に殺人を行う首班の人間は殺人というシナリオの物語の主役ですが

実際に主役の役者を操っているのはいわゆるリーダーであり

物語の進行の指図を握っています

シナリオを書く人間は、いわば監督でありストーリーマスターになるわけです

着こなしの場合自分の心が実行犯で

自分の魂が演出家であるべきです

心が演出家をしてしまうと不安定な着こなしになってしまう

その時の気分によってチグハグで曖昧な着こなしになってしまう

時と場所と場合(TPO)によって使い分けができない着こなしになり

着こなし自体が不安定な精神のように狂ってしまうでしょう

ようは、だらしの無い着こなしになってしまうということです

殺人は時に成り行きで成立してしまいます

着こなしも人に操作されて成立してしまいます

しかし

自らの意思で人を殺す場合それを物語に仕立て上げることも可能です

自らの意思で着こなす場合もそれを物語りに仕立て上げることも可能です

大切なことはそこに分の意思が有るか無いか

自ら、企てたもので有るか無いか

心で着こなしをしてしまうとそのときの気分で判断がぶれてしまうということです

ですから魂で着こなすことが大切なのです

そこに自分の魂が存在するか存在しないか

それが大切です

犯罪の場合

それはとても危険なシナリオライター(演出家でありスタイリスト)になります

着こなしの場合

それは自らの人生を花で飾ることになります

宮部みゆきはとてつもない犯罪の模倣犯を作り上げました

僕はとてつもない着こなしの模倣犯を作り上げることをここに書きます(笑)

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殺人実行犯

「一番外枠の、いちばんマクロの観客は俺たちだよ。一般大衆とマスコミだ。だからこのことは”主役の犯人”も知ってただろう」

模倣犯下巻P.441

建築家の会話

これは本当の裏のシナリオライターに踊らされている犯人の姿を書いた部分です

殺人の場合自分自身がシナリオを書き自分自身で殺人を犯せば単独犯になります

ボスや幹部の言うことを聞いて殺人を犯せば組織犯罪になります

そういえば最近大学のアメリカンフットボール部が監督の命令に従って

「壊してこい」といわれプレイ中に非道な行為をしました

これも立派な組織犯罪といえるでしょう

殺人ではありませんでしたが一歩間違えれば殺人になってもおかしくない許しがたい行為でした

さて着こなしの場合の実行犯は心になりますが

実際に実行するのは心に操られているボディ(体)がパフォーマンス(行動)をすることになります

完全犯罪はシナリオを書く人が自分であろうが他人であろうが実行する人間が状況を把握して抜け目ない行動をすることが要求されます

着こなしの場合は自分でシナリオを書く場合は

自分自身でスタイリストになることができますのでどんな場合でも着こなしの術を身に着けていれば臨機応変にあらゆる時に対応することができる着こなし術が可能なわけです

他人にスタイリストをまかせてしまうと

その時だけの着こなしは良いかもしれませんが常にどんな時でもスタイリストが付いていてくれないと着こなしができないことになりますのでセンスの無さがバレバレになってしまいますね(笑)

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殺人の被害者は

「見物している社会の人たちを、楽しませようとしてる。それだけじゃなくて、この”犯人”は、殺された被害者だって、楽しかったはずだって思っているんじゃないかって気さえするのよ。だって被害者たちもイベントの参加者なんだもの」

模倣犯下巻P.487より武上警部の娘法子の言葉

殺人者に対して被害者を非殺人者と呼ぶとすると

着こなし者に対して服は非着こなし者と呼べますね(笑)

服は被害者同様で着られてしまう受け身なのです

だから服は

誰に

どのように

着られてしまうのか

常に戦慄している

常におびえている

そんな存在といえるでしょう

しかも

服はその物語の出演者でもあるわけです(主演に近い存在、主演者はあくまでも人だから)

無理やりの出演者にさせられてしまっている(笑)

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まとめ

ちょっと無理やり殺人と着こなしを結び付けてしまった内容ですが

殺人を本気で計画的にすることと

着こなしを本気に計画的にすることは

人生にとってとても重要なことです

勘違いしないでくださいね

殺人はしてはいけないことですし

着こなしはしたほうがいいことですが、、、、、、

いずれにしても何をやるにもど真剣にやらなくては

成功しないということです

そして人はどこかで必ず”模倣犯”になっています

人が生きている中でどこかに必ず”オリジナル”は存在しています

そしてどこかで必ず最初に行ったそのオリジナルをみんな模倣しているのでは無いでしょうか

魂は人の魂は精霊(スピリット)を受けて成長していきます

人は己(おのれ)の魂(ソウル)をそのように成長させてゆきます

大きな宇宙に住む精霊(万物の霊)が

人の聖霊(スターピープル)に伝え

魂(あなた自身)に伝わってゆきます

人は宇宙の大きな何かを常に模倣して模倣犯として生きているのです

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