インディゴチルドレンかなと思ったので幼児期からの記憶をたどる愛を持って生まれた子供たち

目次
インディゴチルドレン1

1958年生まれの僕にとって

今までの人生の中で自分が考えてきた色々なこと

それらのことは僕にしか理解できないのかなって言うそんな思いが多々あった

この年になった今でもその思いは変わらない

そんな僕だがつい最近知った言葉がある

インディゴチルドレン

僕は昔からインディゴデニムにはこだわって生きてきたので

ネット上で見付けたこの言葉に手元のマウスが即反応した

するとデニムとは全く違う内容の記事が目の前に現れたのだ

その記事の内容に僕は釘付けになってしまった

★★

つい最近のことである

僕がインディゴチルドレンという言葉を知ったのは

この日を境に自分の過去の色々なこと

それらの出来事ととインディゴチルドレンを照らし合わせてみたくなった

ちなみにインディゴチルドレンのことは全く初めてだという方はこのページをご覧ください

インディゴチルドレンとは – ウィキペディア小見出し辞書 Weblio辞書

******

僕自身もまだ何もわかっていませんのでうまく説明できません

これから色々書いてゆくことになるので、、、、、、

ただ言えることは

今日の時点で僕がインディゴチルドレンという種類の人間であるとは思っていない

なぜかというと自分自身に明確な判断基準がないからである

最近知ったことに対して何かを決めつけることは

あまりにも浅はかで幼稚な行いだと思う

だからここでは今時点で僕が考えていることや頭に描けることのみを話そうと思う

ただ一つだけ確信をもっていえること

それは

インディゴチルドレンと呼ばれている人たちは

今日は2017年5月7日である

ときはすぐに流れてしまうので最近と言う曖昧な言い方はこの際使わないほうがいいかもしれない

日にちを記載したのは今この記事を書いている僕自身も忘備録として記憶にとどめておきたいからである

この投稿を書くにあたり

自分の記憶をたどりながら

思い出しながら

確認しながら書き出しているので

ブログに投稿する日は5月7日から何日後になるかは定かではない

この記事はささいなショートエッセイのようなものであるが

筆者のこの僕にとってはとても大切な物語の始まりになりそうな気がする

だから慎重に言葉を選んで書いてゆくつもりである

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子供時代の記憶をたどる

この記事の目的は自分とインディゴチルドレンを比べるための資料みたいなものである

そのために僕のかんたんな経歴を書き留めておく
内容はインディゴチルドレンと関わりがありそうなことだけにしておく
この記事を読みに来てくれたあなたはインディゴチルドレン以外の情報を僕に求めることはないであろうから、、、、、、、

誕生

まずは僕が生まれた時の話
昭和33年3月13日(1958年)東京都の大田区に生まれる

インディゴチルドレンは過酷な状況を自ら選んで生まれてくるらしい

物心ついてからの僕は厳格な父に怯えながら成人を迎える
日常は普通の一見おとなしい性格に思える父であったが酒を飲んで機嫌が悪くなったり
ちょっとでも気に入らないことが自分自身に起きると尋常ではない怒り方をする
僕は祖父母と父母妹との6人暮らしだった
父以外の5人はこんな父の性格?にいい加減うんざりしていた
僕はなんでこんな家庭に生まれてきたのか
そんなことを考えながら
そんな父を見ながら
成人していくことになる

それとは裏腹に
父以外のことに対しては僕はごく普通の昭和の男の子だった

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幼稚園時代

幼稚園小学校を普通に過ごしていた
この時期気になったことを書き出すと
僕は幼稚園時代異常なほどの泣き虫だった
自宅のすぐまえが通っていた幼稚園で自宅の窓からも園内の様子が伺える距離であった
そんな近いにも関わらず
僕はとにかく通うのが嫌でしょうがなく
毎日毎日幼稚園に着くなり泣き続けていた
親としてみればこんな近いんだからなんでって思っていたと思う

しかし自宅からも毎日僕の鳴き声は聞こえていたので
幼稚園にいったかと思うとすぐに
毎日のように母に連れられて家に戻る繰り返しだったのだ

この様子を見かねた母親に連れて行かれたのが
お灸である
今でもかすかに覚えているが
神奈川県の鶴見にあったお灸屋さんに何度か連れて行かれた
なんでも当時は疳の虫(かんのむし)に効くお灸が世間では当たり前だったようだ

特に友達からいじめにあっていたわけではない
というよりも仲のいい友達は何人もいて自宅付近で数人で遊ぶのは大好きだった
先生も優しい人だったのだ
ただただ幼稚園という箱の中での生活が我慢できなかったのだと思う

小学校時代

小学校に入るとさすがに泣きじゃくることはなくなった
ごく普通の小学生で
成績も中の上程度の生徒だった

女の子を好きになったし

絵が好きでみんなにほめられたし

足が速かったし

体育と図工はいつも最高の成績だった

ただこの時期から中学卒業するまでの期間

僕は強度の乗り物酔いをする少年だった

遠足に行く前の日から吐き気がして憂鬱で

遠足当日などは、気が変になりそうなくらい吐き気がして

バスに乗った途端に一言も喋ることができず

車内で何度ももどした経験がある

もう一つ僕だけの貴重な経験がある

それはインディゴでもジーパンの方のインディゴのことなのだが

インディゴデニムにとりつかれたことがあって

ちょっとミステリアスに聞こえるかもしれないが

詳しくはここに書いてあるので良ければ読んで見てください

異常なほどにインディゴのGパンにこだわった話ですので

初めてのインディゴデニムの記憶

クラスの子はこんな僕のことを誰も知らずにいたし

今でもこのブログ以外では話すこともなく、、、、

それ以外の自分は普通の男子生徒だった

小学校には悪いやつもいた仲のいい友達もいた

しかしごく普通にみんなが経験するような友達関係だったはずだ

ただ僕には幼稚園時代同様に学校に行くことへの喜びはなかった

体育と図工の授業の時間

それに好きな女の子のことを考えたり

友達とそんな話をしたり

好きな時間はそれなりに楽しく過ごした

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中学校時代

中学に入っても登校したくない病はおさまらなかった

小学校時代から友達同士で軟式野球をやっていたこともあり野球部でピッチャーをやっていた

相変わらず体育の授業は好きだった

美術の成績も良かったし

絵を書いたり物を作ることは好きな少年だった

言い忘れたが

昆虫や動物が好きな少年でもあり

この頃近所で拾った子犬を飼いだし

虫や爬虫類を飼うのも好きで

色々な動物を捕獲しては飼育していた

この頃はまだ日本では珍しかったホシガメというリクガメも飼って大切に育てていた

登校したくなかった訳は

団体生活が息苦しくてたまらずにいて

何か得体の知れない恐怖感に苛まれていた

例えばみんなに置いていかれる妄想を常に抱いていたり

取り残されるような恐怖感があった

それを察した母親に病院に連れて行かれることになるのだが

結果は自律神経失調症と診断された

成長期に起こりがちな肉体と精神(心)の発達のバランスが崩れることが原因の

この時期、繊細な子供によくある症状だから特に心配しなくても大丈夫

病気というより精神の不安定要素でも有るから

とこんなような診断をされたと記憶している

その後中学も2,3年になると

精神的にも安定してきて

好きな女の子もいて

ごく普通の生活を送れるようになる

中でも僕を感動させたのは音楽との出会いだ

中1からビートルズを聞くようになり

小学校時代のGS(グループサウンズ)好きからロックに趣味が転向していった

更に洋楽趣味に走り

ロックは僕の楽しみのメインになっていった

この頃ちまたで流行りだしたのが

イギリスのプログレッシブ・ロックというジャンルで僕はめまいがするほど好きになった

激しいだけのロックではなくメロディの美しさ哀愁を帯びたドラマティックな曲調が僕を虜にした

ムーディーブルースというプログレのグループの‘’童夢‘’というアルバムが特に気に入って僕にとって

人生の宝物的アルバムになる

小学校時代から徐々にでは有るが

世の中の事を色々考えるようになり

自分の思考が友達とは違っているなという

そんな違和感が徐々に根をはり出していたのだ

団体行動に馴染めない自分も

その辺の僕の心の中に育ちだした塊のようなものが邪魔していたのかもしれない

そんな中

自分の考えが確立し始めていたのだ

この頃の自分自身の思考で作り上げられた

自己思想は今でも全く変化していない

僕自身はもちろん歳とともに発展成長をしている

しかし根底に有る僕の考えの原点は常に一つ

それは【愛】この一言である

ムーディーブルースの童夢には僕の思考の原点であるその愛が凝縮されていた

それでも僕は今まで生きてた中で

誰かを尊敬しているということは今までにない

これも常に疑問に思っていることなのだが

よく「尊敬している人は誰?」的な質問があるが

人によって答えが色々ある

父であったり

母であったり

芸能人であったり

歴史上の人物であったりする

僕にはそれがない

無理やり考えても浮かんでこないのだ

ムーディーブルースは僕の人生に影響を与えた宝物であるがあくまでも同士的な位置づけなのである

尊敬という言葉は当てはまらない

あくまでも自分と似ている

とても共感できる

ムーディーブルースはそんな存在なのである

だから彼らの曲を聞いたときに感動した

それは僕の頭の中にある色々なことを表現していたからである

ロックとして

音楽として

アートとして

僕が普段から考えていた友達や周りの人たちに

うまく表現できなかったことを

綺麗な美しいメロディと

愛ある歌詞によって

とても良く表現されていたからだ

今まで自分の中だけで

一人だけで考え妄想していた

この世の中の愛のこと

そんなことを共有できる対象が現れたということである

だから僕は同士のような感覚でいる

尊敬するという表現には当てはまらない

今までの人生の中で尊敬という言葉は僕にはない

あるのは常に自分の考えであり

それを愛し

それを信じて生きてきたので、、、

これは余談だが

どうしても尊敬する人を答えなければいけないときには(何度かあるのだが)

僕が尊敬する人は‘ルパン三世’って答える

まんざら冗談ではない

強いて言えばルパン三世のキャラクターは

正義の味方で超かっこいい

話がとても長くなってしまいました

ちなみに高校時代の僕は相変わらず多数人が集まるのは嫌いでしたが

相変わらず父の急な変貌は続いていたにもかかわらず

なんとかやっていきました

そのころ母とたまに交わした会話は

「こんなオヤジでよくもぐれずにここまで来たもんだ」

こんなことも今では懐かしいですが(笑)

絵が好きだったことが高じて

大学は美大でテキスタイルデザインを専攻しました

ロック好きでしたが才能は全くなく進路は美術系に決めたのが高校の五年のとあることがきっかけでした

中学生時代のトラウマは校則だった

高校大学はいろいろな意味で様々な経験をしました

今日は幼少時のインディゴチルドレンに関する内容なので

またの機会に書きます

短くまとめて

僕がインディゴチルドレンの

条件に当てはまる項目に当てはまるか

自己診断したいのだが

長くなりすぎました

すぐに別記事でまとめたいと思う

この自分の幼少期の記憶がどこまでインディゴチルドレンに当てはまるかわからないが

文章が長くなりすぎてしまいました

最後までお付き合い頂きましてありがとうございます

よろしければこれから書き始めますので

インディゴチルドレンに当てはまる項目もぜひ読んでみてください

僕はインディゴの人たちは世代に関係なく

みんな素敵な人類の最高の種類の生き物だと思います

誰もが住みやすいこの地球を作るためにはインディゴのような考え方をできる人たちが絶対に必要です

きっと自分を含めた身の周りを幸せにするためにどこかから来た人たちではないでしょうか

まだまだインディゴチルドレンのことを知ったばかりの僕が

こんな生意気なことをいってごめんなさい

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