ピカソの作品のモデルで最もエロティックだといわれているマリー・テレーズ・ヴァルテルが言っている「ピカソはまず女を犯し、それから絵を描くのです、相手が私であれ誰であれおんなじことでした」ピカソ本人はこう言う「内臓をえぐりだし破壊し分解することが人生であり芸術である」
女を苦しむ機械にしてしまうとまで言われるようなピカソのこの行動はいったいどこからくるものなのか
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未知なるものは破壊する
いや、そんなピカソの対象は何も女だけではない
ピカソは自分がいのすべてに未知なものに対して敵対していたのである
だから自分が理解で着るまで物事を分解して中身まで自分の目で見なければ気が済まないのである
それはまるで子供が自分のおもちゃを分解するようにだ
たとえ壊れて遊べなくなっても
たとえ分解して元に戻らなくなっても
自分のものになるまで納得するまで破壊して中まではいりこむ
それができない未知のものはすべてピカソにとっては敵対する対象であり
戦うべき対象なのである
人は未知なるものと戦うために仮面をかぶり架空の強い自分を創り
そして戦いに挑むものだ
仮面は自分を守るための戦いの道具である
相手が神であろうが
相手が悪魔であろうが
相手が政令であろうが
関係ない
得体の知れない未知なものに対処するときには
戦いのためのい道具が必要である
あるとき、ピカソは悟ったのである
「自分がなぜ画家であるかが理解できた」
というのだ
そして画家であるピカソにとっての先頭のための道具は絵である
そしてその道具としての絵の第一号が
アヴィニオンの娘たちなのである
敵を、、、未知なる敵であるすべてのモノは徹底的に破壊して分解して内臓をえぐらなければならない
だからピカソの絵はそのように表現されているのである
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アヴィニオンの娘たちはそんな魔除けのための最初の絵なのである
アートは破壊によって生まれ変わる
過去に時代の変化と共に芸術が生まれ変わる時芸術家のとる行動は
構築活動ではなく破壊活動である
新しい時代のために
近代絵画の父といわれているマネは
新しい都市風俗を描くために、、、、、、、、
聖書や神話を使わずにフランスのアカデミーの約束事を破壊した
光のために
印象派の開祖といわれるモネは
光の色彩を表現するために、、、、、、、、
筆の後が見えなくなるまで丁寧に描くという絵画技術の伝統を破壊した
感覚を重視するために
19世紀ロマン派の巨匠ドラクロワは
理性に変わる色彩の感覚を表現するために、、、、、、
形を重んじてデッサンを重要視していたアカデミックな絵画教育理論を破壊した
そしてピカソは破壊によって創造した
ピカソはすべてのモノそのものを破壊して表現した
未知なものは未知ではないものにしてから表現する
その結果、観る側にとっては未知なもの8何じゃこりゃ!!)になってしまう
こんなパラドックス がピカソの絵の面白いところである
ピカソはなぜ金と女と王の座を独り占めできたのか|太陽になった男1
動画もどうぞ
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