ミニスカートが生まれた背景はこんないきさつだった、アンディ・ウォーホルは言った「’60年代はみんながみんなに興味を持った時代だった」そしてごった返していたとアンディ・ウォーホルは言う、そして彼が恋したタクシーがミニスカートを発明した時代でもあった、タクシーは子供のスカートをはいていた、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市にある国連のある場所にほど近い街中での話である
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きっかけ
時代は1950年代の終わり、その後まもなくロンドンにて、新鋭のストリートデザイナーであるマリ―・クワントがコレクションでミニスカートを打ち出した
ロンドンもニューヨークも経済成長の後の若者が自由を求めていろいろやらかしだした時代
パリではフレンチポップの歌姫シルヴィ・バルダンがデビュー直前
時を同じくして日本では華々しい西洋のミュージックシーンやファッショントレンドを
にらみつけるようにして独自のアートが生まれようとしていた
のちのコムデギャルソンを率いて世界デビューを果たす川久保玲などの新鋭アーティストの誕生である
しかしそのころのアメリカでは
世界を飲み込むような今までにない強烈なアートの革命が誕生しようとしていたのだ
それはアンディ・ウォーホルを代表としたポップアートである
一言でポップアートというととても軽い存在に思えるが
人類史上今までのなかったたぐいの新しい革命であるのだ
これは政治経済とは関係がないなんて言っていられないほどのアート革命であり
かつてないたぐいまれな芸術革命である
音楽
美術
商業
工業
などあらゆる物事を巻き込みながら世界的に社会現象として成長してゆく
そんなアート革命の誕生である
昨今世界で話題視される日本のアニメなどに代表されるポップカルチャーは
アンディ・ウォーホルが作ったといっても過言ではない
そんな時代の立役者の代表的存在が彼である
さて話をアンディ・ウォーホルのお相手のタクシーの話にもどそう
子供服を着たセクシーなニューヨーカー
そんな時代だからこそ
そんな生き方が生まれるのかもしれない
タクシーは神秘的な女の子だ
今の時代に神秘的な子を探すのはむずかしい
神秘的を装っている偽物はたくさんいるが
本当の本物の神秘的な女の子は最近見かけない
タクシーは南カロライナのチャールストンの上流階級の生まれである
可愛いが頭の混乱した家出娘である
きっと頭の回転はいいのだろうが
衝動的な嘘つきであり
決して本当のことを言う子ではなかった
しかし天性の役者で何とかいつも人を信用させて
欲しいものを手に入れていた
僕はテレビのクイズ番組で大金持ちになった友達に紹介されて
タクシーと出会ったのだ
家出をしていたタクシーは素寒貧(すかんぴん=貧乏)でも生きていけることを証明するために
とにかく安い服を買いあさっていた
そんなことをしていたらたまたま買った服が子供服であり
スカートは50セントほどの値段だったのである
そしてバレー用のタイツと合わせたりドレスアップしようとして
大きなイヤリングを付けたりしたのだ
天性のアレンジ精神を発揮して
いろいろなファッションを楽しんでいるうちにタクシーにしかできない
人目を奪うようなファッションを身に着けるようになり
多彩な工夫家ぶりを発揮した
そんな中で子どものスカートを身に着けたタクシーの姿は
まぎれもないミニスカートの走りであったことは紛れもない
そんな矢先大きなファッション雑誌に取り上げられたのだ
あの時の君はなかなかだったよ、、
僕は出会った当初
彼女がどれくらいドラックをやっているかわからなかったのだが
やることも所有することも同様に大切だったらしく
常に隠し持っていた
そんな矢先タクシーに服のデザインをさせようという話が友達の間から持ちあがり
金持ちの友達がスポンサーになったのだ
タクシーにとってみれば
デザインをすることは
自分が工夫したスタイルをただコピーするだけのことだった
しかし神秘的で小悪魔的なタクシーは
スタッフなどにも自由奔放に接し
悪影響を及ぼすこともあり
デザイナーとしての仕事もうまくはいかずに終わってしまった
そんなタクシーと僕はいち度だけベッドを共にしたことがある
しかし彼女の手がベッドの中にいても一晩中動きを止めなく
僕は誘惑よりも怖さが先に立ち何事もなかったのだ
やがてタクシーは僕の元を離れていったのである
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アンディ・ウォーホルの時代
ミニスカートを発明したタクシーという名の女の子の話は
アンディ・ウォーホルの書いた「僕の哲学」という本がひな形である
1950年代のアンディ・ウォーホルはまだ若く
タクシーと知りあったころまでに彼が恋したものは
ベッドで常にスイッチをオンにしていた4台のテレビだった
その後彼はテープレコーダーと出逢い結婚するに至るまでは、、
こんな彼にとってタクシーの存在は
アンディの愛したポップそのものだったのかもしれない
1960年代という時代はファッションのリーダーは
間違いなくフランスである
ミニスカートの発祥は
出だしで書いたように1950年代の終わりに
ロンドンで発祥してパリで人気が出たアイテムである
アンドレ・クレージュがパリコレで1965年に発表
1967年にはロンドンのモデルであるツイッギーが来日してミニスカートを日本上陸させた
同年、パリ帰りの野際陽子がミニスカートをはいて帰国したり
美空ひばりが「真赤な太陽」でミニスカートを披露したり
さらには’70の万博や
そのころからモーターショーなどのイベントで
ミニスカートのモデルが一世風靡した
その後、’80では超ミニのマイクロミニスカートやボディコンシャスなどの流行で
世界的にも定番化していったのである
そんな中でタクシーというアメリカンレディである女の子が実在したわけである
商業ベースでデザイナーが発表するより前に
ニューヨークからの発信ですでにミニスカートは発明されていたのかもしれない
このような街のささいな物語が
流行という新しい文化を作り上げてゆくことは
まぎれもない事実である
それと同時に今現在のあらゆるデザインのポップ性は
この時代背景が基本である
1960~1970という時代はこれからも色々なものに影響を与え続けるのだ
そしてカラフルな1970年代に突入してゆくのである
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