ピカソはなぜ金と女と王の座を独り占めできたのか|太陽になった男1

目次
デコドルフィンの作品が買える店
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金と女と王の座を得て太陽になった男

「太陽は、邪魔されるのを望まれません」これは80歳目前のピカソと30代半ばで結婚したジャクリーヌ・ロックが言った夫への面会を断るのに使った言葉だ、1973年に91歳で亡くなったピカソは数十人分のディナー代をテーブルクロスにしたサインで支払ったといわれる錬金術の天才でもあった、伝説の巨匠ピカソの生涯作品数は油絵が一万三千点、版画素描陶芸などの油絵以外の作品数は十三万点を超えているといわれる、財産は手元に残した作品が七万点、それに数か所の住居、複数のシャトー(お城)、莫大な現金を加えると総資産額は7500億円に上るといわれる

おまけに亡くなる5年前にはフランスの国の法律まで変えられた「ピカソ法」という法律である、これは相続税を美術品による「物納」を認めるという政府が発令した遺産相続に関する制度改正だ

この制度はフランス政府の策略とまで言わせた由縁もある

パリ市内にあるあのピカソ美術館(国営)にある3600点余りのピカソの作品の評価額は遺産総額の4分の1相当に値すると言われているピカソ美術館は1985年に創設された

まさにピカソ法によってフランス政府が美術品による物納でピカソの作品を国有化するのに成功したわけである、これはまさに国家の資産なのである

また、7500億円の遺産総額は相続手続きが完了した1976年には時価にして数倍に跳ね上がっているとさえ言われている

さらに話は続く、、、、、、、、、、

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作品とカネの話

パブロ・ピカソの死後40年、2010年ロンドンのオークション会社クリスティーズの競売に出品されたピカソの作品の落札価格が日本円で100億円を超えたのだ

この作品はピカソが50歳の時に描かれた「ヌード、観葉植物と胸像」である

1号当たり1億円の記録的な価格を生んだのである1㎡で50億円だ

これは土地の価格が子どもの小遣い程度に思える数字である

まさに破格の金額である

今でも落札価格のランキングではピカソの作品が10位以内に3点をしめており

その価格総額が250億円になる

ピカソはこんなことも言っている

「私がつばを吐けば偉大な芸術として売れるであろう」

まさに金にまつわる”王”としての言葉以外何物でもない

ほかの巨匠とは何が違うのか

よく比較される画家のゴッホがいる

彼は生前(生きている間)に1枚の絵しか売れていない

あなたはこの違いをどのように思いますか、、、、、

いくらピカソに才能があっても生前に金持ちになった芸術家は

そうそうにはいないのだ

しかもこのゴッホなどはピカソに決して劣らない画家としての地位と名声を確立しているのだ

そのゴッホとピカソの違いはどこにあるのか

しかもゴッホは自らの耳を斬るという悲惨な人生を歩み

その際金がないゴッホは金の代わりに作品で治療費を支払ったといわれているが

支払われた側の医者がその絵を気持ち悪く思い

馬小屋の壁当てに使われたとまで言われているのである

ゴッホがカワイソすぎると思いませんか、、、、、、、、

まだまだそんな芸術家はたくさんいるのである

かれこれ500年ほど前になるが

かの天才芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチなども生前はけっして恵まれていなかったのである

時代背景もあり、当時の画家は今で言う画家の存在は

作家としての芸術家ではなく業者としての職人であったとされているのだ

ダヴィンチと同世代のミケランジェロなどは60歳代半ばに当時の教皇の特別な認可によって脱退を許されるまでは石工の同業者組合員だったとされ

天才芸術家といわれる作家たちも当時は石工、鍛冶屋などの業者と見られていたのだ

受注されたものを作るという制作活動が

その時代の社会背景が身分制だったということが影響されているのだ

当時の身分は

祈る者:聖職者

戦う者:騎士

働く者(作家含む):労働者

こんな順番で身分が確立されていたのである

3つの身分

近代絵画って宗教そのもの

ピカソとその他のアーティストを語るのには

いろいろなことが背景にあることを理解しなくてはならないのですが

500年前なんかは社会が宗教そのものでフランス革命以前のヨーロッパなんかはまさに宗教の時代だったらしい

16世紀に起こった宗教改革で宗教画が否定され教会からの注文が減ったらしいですね

さらに17世紀には画商が現れこのころはルネッサンスとかバロックとか言われた時代で

同時に絵の内容も宗教世界のいわゆる神話的なものから世俗的になったのですね

風景画とか静物画とかが画家たちの間で描かれるようになってきたわけです

この流れはオランダあたりから発生していったらしいんだけど

絵画などの芸術作品を買う客層も教会から庶民に変わっていったらしい

おそらく一言で言うようなスピードではなくゆっくりゆっくりだったと思うんだけどね

その後18世紀末のフランス革命で宗教だけではなく王侯貴族の社会も崩壊して

画家としてはスポンサーとしての貴族まで失うことになり

時代の変化は一長一短があるから仕方がないと思うけど

生きていくのは大変なことですねいつの時代も

新しい時代と新しい芸術

場を失った絵画彫刻など芸術の世界が突然新しい形式を生みだした

それが印象派という当時としては前衛芸術だ

これがまた、画商というビジネスに拍車をかけるギャンブル的な投機性を与えることになるのだ

印象派といわれる芸術家たちの代表ともいえるモネ、ルノワールなどの描いた作品は驚くような安い価格で取引された

これは画商たちのビジネスとしての策略でありアーティストたち当事者に入るはずの作品料は二束三文であった

市場で評価された作品は画商たちのギャンブルに拍車をかけるになる

顧客の買値は跳ね上がったわけだが

これら取引の中核を握っていたのはあくまでも画商たちであり

画家たちには自ら作り上げた作品の価値を決める立場になかったのである

このようにして印象派の芸術家たちはある意味画商たちの餌食になっている立場から逃れることはできない時代であったのだ

時代は常に流れていく

このころから世界の中心になりつつあったのはアメリカである

ヤンキーパワーは資本という絶大なパワーを背負ってヨーロッパを飲み込みつつある大国にのし上がっていった

当然のことながらアートのビジネスもその大きな資本の渦に呑みこまれていったのである

この出来事がさらにアート作品の高額取引を生む引き金となる

画商たちにとっては笑いが止まらない時代が来たのだ

そんな時代背景の中、19歳のパブロ・ピカソが故国のスペインからパリに来た

1900年のことである

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20世紀の絵画バブルの始まりを引き連れてピカソがパリに来たのだ

このバブルにはいろいろな要因があるだろうが

戦争もその引き金になっている

第二次大戦でのナチスドイツの悪意のある印象派の絵画の買い占めも要因の一つだといわれている

しかしそのころには当事者の印象派の画家たちはこの世を去った後である

ルノワールもモネもその恩恵にはあづかれなかったのだ

後期の印象派の画家たちや長寿にしてなくなった人たちの中には

その恩恵を受けた人がいたかもしれないが、、、、、、、、

ピカソ時代の到来Lock in PICASSO

印象派の時代でなくてもまたは絵画などのアートでなくても

人気とは一度頂点に到達すると人は次のものを探すものなのである

このころは印象派の後にくる新しい前衛i的な何かを模索していた人々が

少なからずいたはずである

それが人の心理であり

今までのものに対する安心とは裏腹に

斬新な新しい刺激を求めるのが人の心理なのである

ピカソこそがその人々の心の欲求を満たすべく印象派からの脱出と

前衛画家への道を作り上げたといえるのだ

たとえばアメリカ人が古都パリの屋根裏の小さなホテルにあこがれるように

たとえばパリの住人が新世界アメリカにあこがれるように

そんな新しいものに人々は飢えていたのである

そんな中でなぜピカソだけが特別な存在なのか

ピカソの実力には他の物の追従を許さないだけのものがあったのである

ずば抜けた才を持つ男

その画力は過去の天才画家たちのあらゆる作品と同じだけのものを表現する力量が有る

パリに来て6年目の25歳にはすでにパリ新進画壇のホープの地位を確立することになった

そのころのピカソの作風は

ロートレックやゴーギャンなどやフランスを代表する象徴主義の巨匠シャヴァンヌの画風を取り入れた写実主義のモノばかりであった

個性あるあらゆる有名画家の絵のイメージを巧みに使う技法によって画商の趣味に合致した作品を提供していたのである

そんな作品を描き上げるピカソの評判は

器用貧乏で終わるのではないかという噂もあった

しかしピカソはそれでは終わらなかった

この立ち周りの良さで経済的にも余裕があったピカソは

さらなる躍進を遂げるべく持ち駒を準備していたのである

その暴力的とも言える斬新な実験作

「アヴィニオンの娘たち」

キュビズム到来

はそんな中で生まれた作品なのである

キュビスムという斬新な新しいアートの時代が到来した

この新しい試みが失敗しても当面の生活費に影響がなかったピカソは

自分の作風を変幻自在に転換して見せたのである

この過激な作風でさらに躍進を遂げたピカソは

カメレオンの異名を持つこととなり

画商の要求に合わせた作品を常に自分のオリジナル技法として提案した

たとえば印象派風を好む画商にはそれなりに

キュビスムのような先駆的な作品を好む画商にもそれなりに

それぞれの画商の路線に実に柔軟に合わせて作品を提供し続けたのである

さらに画商の家族の肖像画を画商の好む手法で描きサービスする

またそのあらゆる手法はその場の付け焼刃ではなく

持ち前の才能を活かした堂々たる出来栄えなのだ

これは画家としての才能だけではなく

恐ろしいほどの敏な商才を表わしていることになる

巨万の富をピカソにもたらしたのは

現代美術のビジネスそのものであり

現代の王とまで言われる存在となったのである

巨額の金銭に変容する絵画ビジネスもまたピカソが発祥の地であったのだ

これは現代美術という魔術の誕生でもある

まとめ

今回はピカソについての第一回目の投稿になります

20世紀の代表する天才の才能はどのようにして生まれたのかという内容と

それがもたらした結果の金についての内容が中心ですが

次回は破壊王ピカソの正体です↓

ピカソ2★美女が語る正体|破壊して分解して内臓をえぐりだし絵を創造する

ピカソの絵を参考に上手い絵ほどつまらない↓

ピカソの絵は上手い?下手?上手い絵ほどつまらない視点が大切

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