記憶の渚にて意識は翼を持って僕の思考は自分から飛び立つ

目次
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本当に大切なものはものという形をなしてはいない、たとえば太陽の近くの4400℃の場所にでも行くことができる、形のある体を一緒に連れて行こうと思うと燃えて灰になってしまい形がなくなってしまうので僕の形はそこで消滅してしまうが、意識だけは太陽の近くまで行くことができる、ならば最初から僕の体を連れて行かなければ、僕は太陽の近くまで行って、そして帰ってくることもできるのだ、鉄腕アトムは人類を救うために太陽に飛びこんだわけだが、実際には太陽の手前で燃え尽きて溶けてしまっただろう、鉄腕アトムは金属の物だから、、、地球外から地球にきている人?達はUFOのような乗りものを一緒に連れてくる技を持っているのだ、僕ら地球人はその技を知らないだけなのだろう、直木賞作家の白石一文の新刊である記憶の渚にてを読んで僕はそれを確信することができた

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形のないものが大切

人を含む生きもの

身の周りの持ち物

住んでいる家

街並み

日本の国土

太平洋

アジア大陸

地球

月と太陽

これらのすべては形を持つものである

では形のないモノというのは存在するのか

時間

空間

これらは形をもたない

時間は経過であり

空間は物と物の間である

ものが存在するためには

時間と空間はとても大切な存在である

言いかえると

形をなさないモノである

形のあるものは形をなさないものの中に存在するといってもいい

僕たち人間は形のないものである時間と空間の中で生きている

この時間と空間が存在しなければ

僕たち生きものや静物(生きもの意外のもの)は存在することができない

居場所があってこそ存在することができるのである

だから形のないものは僕ら形のあるものにとっては

かけがえのない存在である

もう一つ忘れてはいけない形のない大切なものがある

それは意識

人は意識を持って、意識に従って行動する

生きるものにとっては意識はなくてはならない大切なものである

時間と空間があり意識があるからこそ

僕たちは生きていることを実感することができているのだ

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時間と空間は意識と同じ位置にいる

意識は形を持たない存在であり

意識は形のないものだ

形のないものは時間と空間に支配されることはない

むしろ時間と空間と意識は同じ位置にいる存在である

いやもっと言うならば

時間と空間と意識は一体であるといっていい

その中に形のあるものが存在するのだ

この画像のように

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時間と空間は意識と共に存在する

そして形のあるもの

人、物、などの実態のある目で見える物がその中に存在している

生かされているというより存在しているというべきであろう

僕たち形のあるものは時間と空間と意識の中で生きているのである

この画像のように赤い楕円は時間と空間と意識が存在する

クラウドのようなものである

コンピューターの外部保存装置であるクラウドのことである

白石一文氏も「記憶の渚にて」の文中でクラウドという言葉を使っている

確かに一番クラウドという言葉が

時間と空間と意識の保存場所として妥当なような気がする

時間と空間は経過と位置である

時間は経過することによって意味のある存在となる

空間は移動することによって意味をなす

そして

僕たちを含む形のある物たちは

この時間と空間の意味によって

存在が意味をなすのである

それでは意識

僕たち形のあるものにとって

どのような意味をなしているのであろうか

それは記憶である

記憶という名の意識の歴史

歴史という言い方が正しいかどうか

定かではないが

僕たち生きものの中の

少なくとも人間はそれぞれの意識を持っている

僕たち人の意識

時間と空間を生きるにしたがってどんどん過去のものとなってゆく

過去のものとなった意識は

記憶という形で残る(存在する)のだ

記憶は過去の意識(歴史)として保存される

人それぞれの頭の中に残るのだ

ここからが大切なのだが

果たして記憶は

あなたや僕のそれぞれの頭の中だけに保存されるものなのか

ということである

意識は自分だけのものではない

次の画像を見ていただきたい

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それぞれの人の意識は

時間と共に経過して記憶となる

記憶は空間を移動しても自分の脳に蓄積(保存)されるので

決して失うことはない

しかし再三述べているように

意識は時間と空間と一体であり肉体という形のあるものではない

時間と空間は果てしなく継続するものである

少なくとも

いつかこの世がなくなるその時までは、、、、、、

では同じ意味で意識と記憶は人が死んでしまうと時間と空間と共に

この世の中に残らないのだろうか

人は記憶を無くすことがある

または

人は忘れた記憶を思いだすこともある

人は記憶を出し入れしているのである

まるでパソコンのハードディスクや

クラウドの中のデータを出し入れするのと同じように

記憶という存在が自分の脳内にだけに保存してあるのであれば

一度失った記憶をもう一度手に入れることなどできないのではないか

記憶を出し入れすることができるということは

記憶は時間と空間と共に意識というクラウドに一緒に保存されているのではないのか

自分の脳内に記憶として保存すると同時に

記憶は

時間と空間の居場所であるクラウドに過去の意識として存在していて

必要な時に出し入れすることができるのではないだろうか

自分が生んだ意識は

自分だけのものではなく共有のクラウドにも存在しうるのではないだろうか

裏付けできる現象が世間にはたくさんある

世界は一つの意識に束ねられている

前回の記事

白石一文の記憶の渚にて|クラウドの中の自分の意識と思考

にこのようなフレーズを書いた↓

デジャヴ既視感とか

インスピレーション

虫の知らせ

というフレーズである

これは現実に自分が経験していないことを経験したかの様に思うことや

感覚的に感じること

しかも過去の経験や未来の予測や違う場所で起きていることへの感覚であり

時間と空間と意識がともに共存しているからこそ経験できることである

人の記憶が人の頭の中だけではなく

クラウドという場所にも保存されていることの

証明になるのではないであろうか

しかもクラウドでなくては

他人の経験を感じ取ることはできない

自分だけの記憶だけでなく

共通の記憶置き場が存在することによって

他人の記憶を感じたり

もっと言うならば

植物と話したりする経験もできるわけである

僕には経験はないが

植物が音楽を聴いて育ったり

植物と話ができる人がいたり

共通のクラウドの存在があれば可能なことが

世の中にはたくさんあるのだ

さらに言うならば

意識は静物の中にも宿っている可能性もある

物である限り生きものではなくても

形のあるものの中には意識が存在することも決して否定はできない

人間の力が及ばずに

それらの意識とコンタクトをとれないだけかもしれないのだ

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神は一つの意識として人に宿り生きる意味となる

あらゆる万物の意識は一つの場所に蓄えられている

それは物体(体)が滅んでも時間と空間と共に生き続ける(有り続ける)

人が生きる意味は

体が有る無しではなく

意識を成長させることであり

記憶として蓄えることである

それは前世から来生への成長の証であり

時間の経過が存在するだけで

過去も現在も未来もない

空間は形のあるものが動くための物であり

意識は自由にどこにでも行くことができる

いや意識は形があるものではないので

どこかに行く必要すらないのである

意識は常に記憶として存在する

そして常に意識は新たな記憶を作りだす

それは自分だけのものにあらず

一人の意識は宇宙全体のものであり

宇宙全体は一つの意識で束ねられているのである

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