衣食住はなぜこの順番なのか絶体絶命の時に着る物と食べ物と隠れ家のうちでどれを優先するか考えてみる

目次
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衣食住この順番は正しい

死にたくないのに絶体絶命になったらあなたは衣食住のどれを最優先しますか

太古の昔から人はなぜ服を着てものを食べて家を持つのか、21世紀の今良い服を着たいしおいしいものを食べたいし気に入った家に住みたいし、人生の目標はこんなところに置いている人はそうとういるのではないか、僕も御多分に漏れず生活の目標は今よりいい生活をするために日々努力をしているのだと思う、しかし人の生活は昔からそんな悠長なことを言っていられるわけではなかったはずだ、人生はサバイバルだ、はっきり言いきるがそれは今でも同じことである、衣食住の順番は正しい、人間が生きて行くうえでの重要度順だ

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生まれたての生き物

何も人間にかぎったことではない

生き物は皆、生まれて来た時点でまずしなくてはいけないことがある

それは保身である

身を守る、生まれて来た自分の体を守る

生まれたての人の子供は自分で身を守ることができない

ただただ泣き叫ぶことしかできない

だから親なり出産に立ちあった人が赤ちゃんの身を守るために

体を覆う

おくるみを着ることから人生は始まる

「御包み」

と漢字で書くように身を包むための布である

その行為は今も昔も変わらない

人意外の動物はみなそれぞれの行動をとるが

多かれ少なかれ生まれたての個体自らわが身を守るために

立ち上がったり歩いたりしながら自分で自分の身を守る行動をするのである

まずは保身だ

保身の次に

生まれてきた体の内部を保つためにものを食べたり飲んだりする

母親のオッパイを飲んだりして

体の内部に栄養を補給するのだ

そして自分の身を守るための住みかを探す

もしくは安全な場所に移動するのだ

これらの意味することを画像にしてみた

衣食住の役割

大切な順番としてこのようになるのだ

  1. 身の周りの敵から体を守るための衣類
  2. 自らの体を維持するための捕食
  3. 安全な環境を得るための住みかや場所

食べ物があっても体自身が危険にあってしまっては生きていけない

食べるよりももっともっと大切な生きるための一歩は

保身である

  • 身を守れて始めて

次に体の維持

  • 体を育てることが始まる

そして環境

  • そして安全な場所の確保だ

ここから先はこの記事のテーマである衣食住を

人間に焦点を当てて話を進める

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人の生活の昔と今

昔の生活

昔は身の周りに危険がいっぱいあった

豊かな暮らしとか言ってる場合ではない

生きることが一番の人生の目的であり

良い生活なんて考える暇はなかったのだ

人は身を守るために植物や動物から繊維を収穫し

織物や編み物を作り保身の手段とした

肌を守るために柔らかなもので身をくるむためにだ

そして外敵からの攻撃から身を守るためには

硬いもので身を守ったのだ

鉾と盾である

石や金属などを使い

守りのための鉾から始まり甲冑を生みだし

攻撃のための武器を作り

それぞれ守りと攻撃の手段とした

今の生活

今ではそれらの昔の生活の名残として

下着で肌を守り

衣類で体全体を整え

アクセサリーとして保身や装飾としている

また帽子や傘や手袋などの

いわゆる服飾小物は

鉾のなごりである

昔と今

衣について

21世紀の現在

人類の歴史はまだ浅く

そして未熟なものである

今だに争い事が絶えずに同じ人間同士でありながらでさえ

常に警戒し身を守る必要があるのだ

そんな人間にとって直接的に身を守る手段は

体を保護するための衣服である

下着と肌着

敏感でデリケートな人の体の表面を守る代表的なものは

下着や肌着といわれるものであるが

本来の目的は

体を隠すための物ではなく

体を保護するための物

最近では体のラインを作るための物ということで

色々な機能が開発されている

がしかし本来の目的は保護目的である

とくに敏感でデリケートな体の部位は

このような下着、肌着で保護されるのだ

インナーとアウター

下着や肌着から独立して

人に見せる為に発達した衣類と思われる節があるが

本来の位置付けはそれぞれの立場で行動しやすい服

という言い方が正解である

本来の意味は仕事や遊びやいろいろな場合によって着分けるための

機能を兼ね備えたものである

行動の内容によっては護身の意味合いを深く持ち合わせている

さらに現代社会に置いてファッション的な意味合いで

センスを問われることになる

センスといえばアクセサリーや小物なども

色々なアイテムが氾濫している

小物とアクセサリー

インナーやアウターと同じで

暑さ寒さから身を守る役割をするものが小物類である

手袋、靴下、靴、傘、、、etc.

まだまだ色々なものが存在するが

アクセサリーのように装飾品的な位置づけがメインになるようなものもここにいれることができる

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食について

前回の記事で睡眠と食に付いて書いた

朝起きた瞬間はじめに何を考えますか?たとえば睡眠について飲食について

この記事は食べるという行為は睡眠と違い自分の意志で調節できるという内容である

寝ている間は意識がない

食事は自分の起きている時間に自分の意志で行う行為だからである

健康のために食べるものを選んで食べる人もいれば

がむしゃらに欲望のおもむくままに食べる人もいる(コワッ!!)

あまり食にこだわらずに出されたものを何でも食べる人もいる

人それぞれだが何も健康に気を付けて食生活を送っている人だけが

長生きをできるとは限らない

体質にあった食生活があるので一概には言えないのだ

しかし食べないことには健康に生きてゆくことはできない

食べたり飲んだりという行為は

人間に限らず動物にとって飲食という行為は

とても大切な生きるために欠かせない行為である

僕は時々この食するという行為を

とても怖い行為だと思う

何が怖いんだといわれそうだが

良く良く考えてみると

とても未知な行為だからである

自分の体の中は

普通の人は見ることができない

ましてや自分の体の内部などは

検診や治療などで体内に内視鏡でも入れない限り

見る機会はない

そんなことは日常にする行為ではないし

普通はしないことである

飲食という行為はそんな自分の体の中に

自分の体以外の「異物」を入れる行為である

しかも自分みずからの意思で行うのである

そしてその異物が自分の体の一分になるのだ

しかもいらないカスのようなものは

糞尿として異臭を放ち体外に放出されるのである

これらの行為を人は無意識に行っているのである

いや意識はしても習慣となっていることなので

何の抵抗もなくほとんど無意識状態にということだ

しかも一日に何度も行うのである

とても怖い行為である

そんなことを考えてしまうと

何かを食べる時に

口に入れる時点から噛んで呑みこむまでの間の行為を

自分の全神経を集中して感覚をシャープに鋭くもって

自分のしている行為を慎重に観察しながらするべきではないだろうか

考え過ぎかな?

考え過ぎなのだがたまにそんなことを妄想してしまう

しかし食べるという行為はそれほど重大な行為なのではないだろうか

体の中にものを入れるのだから

自分みずから

しかも自分の目で見ることができないのだから

恐るべし飲食という行為である、、、、

食べる量はほどほどに、、、、、

食べるものをようく考えて、、、、、

食べるものが体に入り消化されて

血となり肉となり

いらないものは排泄される

飲み物も同様に、、、、、

そんなことをしっかりイメージして食生活を行ってくださいな

住について

住まいはとても大切なものです

今も昔も自分の住みかがあるということは

とても幸せなことですね

僕は寒いのが超苦手で

とにかく冬がダメです

だから多摩川の河川敷などで暮らしている人は

とてもつらいのではないかなどと考えてしまいます

それでも河川敷に小屋を建てて住んでいる人は

一応住まいがあることになるのでまだいいほうですね

法的に違反しているかどうかはさておきですが

しかし家が無い、いわゆるホームレスの人は

僕にとっては考えられません

冬の寒さにどのように対応しているのか

不思議でなりません

温かい国や地方ならまだしも

東京の冬でも相当に寒いですから

河川敷の住みかなんて

多摩川好きの僕にとっては

ある意味自由であこがれてしまう節もないではないのですが

いかんせん、寒いのだけはどうしても耐えられません

だから住まいというものは

人が安心して暮らすためには絶対に必要なものですね

話は少し飛びますが災害に遭われた人に対して

衣食住をしっかりできるように

これは本当にしっかりとした対応をしなければいかないと思う

できれば全員が元のくらしと同じように生活できるまで

国が責任を持って対応すべきだと思う

すべての災害にあった人にである

くだらないことに時間とカネを使わずに

まとめ

僕がこの衣食住というテーマと向かい合うのには

一つの意味がある

人間が生きて行くうえでの重要度順だ

僕は冒頭にこのように書いた

昔ならいざ知らず

この21世紀の人がここまで文化を構築している今のこの世に中に

そんな世界に暮らしている人々なのに

着る物もろくに無く

食べることさえできずに

帰る家もない

そんな人々がこの文明社会に暮らしている

しかもそれらを十二分に理解している人間が

何の対処もしないで

わかっていながらのほほんと暮らしている

いやわかっていながらわざとそのようなことをしているとしか考えられない

そんな世の中なのである

今のこの人の世である21世紀は

僕は我慢できない

人は空を飛ぶことはできないが

鳥のように自らが空を飛ぶことができないが

技術の発達で世界中のどこへでも飛んで行けるではないか

そんな21世紀の人の世に

原始時代のようなこんな不平等なことが

実際に起きているのである

民主主義とか

資本主義とか

こんなくだらない奴らが振り回している世の中

これって人としてなんなんだ

そんなことをど真剣に考える世の中にしなくては

いけないとは思わないでしょうか

僕はそう思います

誰の為でもない

自分と

自分の子供たちの子供たちの子供たちの為に、、、、、

もう一度問いかけたい

衣食住はなぜこの順番なのか服と食と居場所を考える生きるための本能と感性

衣食住の順番と

誰の為の服と食と居場所なのか?

それが、この21世紀に生きる僕らが考えるべき

ことなのではないだろうか

本能と感性を鋭くとがらせて

ど真剣に、、、、、、、、

衣食住はなぜこの順番なのか昔と今を比較して21世紀の現在を考える

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