野生とペットどっちが幸せ?動物の立場考える自由という幻想と人の思考の勘違いとペットのベターな環境

目次
デコドルフィンの作品が買える店
デコドルフィンの作品が買える店
野生とペット

人間以外に悪意を持って行動する動物は存在しない

これは哲学の話です

宗教と哲学の話です

時に動物の行動は意地悪に見えても悪意ではなく

ひがみややきもちだ

人が行う動物に対する虐待や保護

ペットを売る

ペットを飼う

動物園を経営する

動物園に行く

動物を殺す

動物を食べる

人は色々な理由で動物とかかわっています

ペットを趣味で飼う

ペットを商売で売る

動物園をビジネスで経営する

動物園が好きだから見に行く

動物を殺すのは仕事のため

動物を食べるのが好き(肉が好き)

色々ですね

悪気がなくても

色々な形で人は動物とかかわっています

悪気があって動物を虐待しても

悪気ではなくても

動物を殺すことを生業(なりわい)にしている場合もあるし

結果的には動物を殺している

動物の立場に立てば同じこと

だって殺されてしまうんだから、、、、、、、

人として悪気がない場合には罪にはならない

悪気があり虐待すれば愚かな人になる

そんなことを考えていてはきりがないが、、、、

純粋に

動物の立場に立って考えるとどんな環境が幸せ?

そんなことを考えてみました、、、、、、

スポンサーリンク

野生動物は幸せか動物園の動物は不幸か

Life of Pi(パイの物語)という小説が映画になったのは数年前の2012年です

2001年に書かれた小説が元になっている

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日間」という邦題の映画です

この映画の原作を読むと人と動物の関係が哲学的に描かれていてなかなか面白い

たとえば動物園の動物は不幸か

悪意はないが無知な人は

野生の動物は「自由」で「幸せ」だと思ったりする

彼らは野生のライオンやヒョウなどの強い動物を想像して思考しているので

自由でマイペースで生活し

好きな時に夕日を見ながらのんびりと子供たちと一緒に過ごし

苦労もせずに生きているのだと、、、、

やがて悪い人間に捕らえられ

狭い檻に入れられて動物園に送り込まれてしまう

野生でせっかく幸せな生活をしていたライオンやヒョウはどん底の地獄に落とされてしまった

ところが

実際は違う

野生の動物は

たとえ天敵がいない草原の王者であっても

厳しい掟にがんじがらめにされていたのだ

たとえば

仲間同士のきびしい上下関係

食料も調達するのは死ぬほど難しい

野生で生活をするあらゆる動物たちは

それぞれに厳しさの内容は違えども

決して自由ではないのである

野生の動物は自由でいい

こんな考えでいることは人間の勝手な想像であり

人が家族と別れて裸一貫で小銭を握りしめて家出をする

こんな人間の行動以上に野生の動物たちにとって

自分一人だけ自由な行動をすることはあり得ないことであるということなのだ

もし仮にそんな行動をしようものなら

たちまちのうちに

違う群れの同種の生き物たちの餌食になり

縄張り争いの犠牲になり速攻で死を迎えることになるであろう

天敵がいる弱い動物は言うまでもなく肉食動物のいけにえになるのだ

さて一方

不幸にも人間の餌食になり動物園送りになってしまったかわいそうな動物

彼らの運命はどうである?

狭い檻や囲いの中に入れられ

人に見られ自由に動くこともできずに一生を送ることになってしまう

そんな動物たちの運命は

悲劇だ

最悪だ

みじめだ

不自由だ

かわいそうだ

見世物だ

いい思いなんて一つもできないじゃないか

スポンサーリンク

我が家に勝るものはない

果たして捕らわれの身になってしまった動物は不幸なのか

人も人以外の動物も常に変わらぬ世界を望む

一日の始まりに朝起きて夜になると睡眠に入る

一日の間に何度かの食事をする

人により生活環境が違うので

睡眠時間や睡眠の時間帯や

食事回数や食事の時間帯や食べる量

差はあれど

必ずしなくては生きてはゆけず

人以外の動物たちは

これらの行動に対して

より保守的であり

生活のローテーションを邪魔されると

反動的(逆らう)になる

人はある意味自分の生き方の個性を主張するが

動物は変化を好まず

一番自分の生理的にマッチする生き方を選んで生きているということである

だから

一度狭い檻の生活になじんでしまうと

一日のローテーションが守られ

決まった時間に起きて

決まった時間に食事が出来て

決まった時間に寝ることができる

こんな生活を崩されることが嫌になる

自分の環境になじんで(住めば都)

野生では満足に餌を確保することができないときもあり

周りには危険がたくさんあり

常に本能を磨き警戒しながら生きている

たとえば

住み慣れた自分の部屋に

他人が土足で入ってきて

「お前は、解放された。自由なのだ」

と言われ部屋から引っ張り出されてしまい

「どこにでも自由に行っていいんだぞ、さあ行け!」

なんて言われたら

あなたはどうしますか、、、、、、、、、、(笑)

「ふざけんな!!、、、てめー」

って僕ならめちゃくちゃ怒るけど(笑)

たとえどんな汚いみすぼらしい部屋でも

我が家に勝るものはない

動物園に住み慣れた動物たちは果たしてどう感じるだろうか

こんなことをもしされたら、、、、、、、、

たまに動物園で動物の脱走劇がある

これは何か普段と違う環境に遭遇したケースが原因らしいですよ

たとえば檻の中に

脚立を忘れたままであるとか

とぐろを巻いたホースを忘れたとか

餌をやるためのピンセットをケージの中に忘れて置きっぱなしにしたとか

我が家にはブルーイグアナとインドシナウォータードラゴンとケヅメリクガメがいるのですが

ついこの間

彼らを放し飼いにしている部屋に

僕の友達が遊びに来て

彼らからすればとんでもない邪魔者が自分の生活空間(縄張り、住み家)を犯したわけです

そして事件が起きました

一匹のインドシナウォータードラゴンが部屋から脱走したのです

いつもならこんなことはまずないのに

僕の油断もあったのですが、、、、、、

幸いに3日後に別の部屋で寒さでうずくまっているところを発見できたので

大事にならずにすみましたが、、、、、、、、、

こんな実話もあります

チンパンジーの檻に鍵をかけ忘れて扉が開いてしまった例があり

チンパンジーは逃げるどころか開いた扉が不安材料になり

甲高い声を出し泣き叫び見ていたお客さんの通報で係員が来て無事におさまったという話や

逃げたクマを追い探しまくった末

どこにもいなくて戻ってきたら

クマは自分の動物園の自分の囲いの中に帰っていた

動物の皆さんはなんだかの不安でそんな行動をしてしまう

動物は人間以上に保守的だ

動物は人間以上に反動的(慣れないことに逆らう)だ

スポンサーリンク

自由という幻想

動物虐待や環境破壊という人災はともかく

悪意のない勘違いは危険である

もちろん人間の勘違いである

人間以外に悪意を持つ動物は存在しない

人間の思い込みは時に痛烈な間違いを犯しているのではないだろうか

僕が飼っている爬虫類は自分の宗教を持っている

1匹のブルーイグアナと

3匹のインドシナウォータードラゴンと

1匹のケヅメリクガメの幼体である

方や僕は無宗教論者であり自分一番主義であり哲学を持っている

しかし生半可な知識で我が家の爬虫類たちを困らせていたことを

たまに痛恨することがある

彼らペット達には自分たちの種族ごとに独特の宗教を持っている

僕の勝手気ままな哲学が彼らの宗教を犯しているのだ

人は過去の知識ではなく

目の前の現実に見合った知恵を常に働かせなけれならず

ペットたちの最良な環境と生活を守るということは

そういうことなのである

一日中、水桶に浸かっているインドシナウォータードラゴン

水を与えても一度も飲もうとしないブルーイグアナ

どんなに紫外線ライトを当てても逃げるように遠ざかって歩くケヅメリクガメの幼体

それぞれ自分たちの宗教のもとに行動している

僕ら飼い主は

彼らの行動を見守り住みよい環境を作ることが大切であり

それは

動物の飼い方の知識ではなく

その個体に対する知恵をもって行動することなのではないだろうか

どんな種類の動物に対してもそれは同じこと

犬でも猫でも

ブルーイグアナでも

ワニでも

ゾウでも

もちろん植物でも

生きるものはすべて自らの宗教という保守的な生き方のもとに生きているのだ

勝手な哲学におぼれて勝手に環境を壊しながら生きているのは人だけだ

スポンサーリンク

LINEで送る
[`evernote` not found]
Pocket
Share on LinkedIn