絵を模写することは雑誌で見た好きな服を真似して着ることと同じだ次のステップはオリジナルな表現

目次
デコドルフィンの作品が買える店
デコドルフィンの作品が買える店
人のマネからオリジナルの表現へ3

着こなしが上手いということは人の良いものを盗むことが上手でしかもそれを自分のモノにできているということである

それは名画を模写してテクニックを習い、その上で自分のオリジナルの絵を描くことと同じことである

どちらもそこまでおこなった結果が素敵であれば成功したことになる

前回の記事の最後にこのような文章を書いた

きっかけはあらゆる身近なモノごとに存在する

一番大切なことはそれを見逃さずに

自分自身で体験すること

足を運び実物に接すること

自分が実際に作業すること

たとえそれらのきっかけがネット情報であっても本の知識であってもテレビやラジオやYouTubeチャンネルであっても 

それらの情報を自分に活かせるスタンスが大切であり自分側に持ってくることができるかどうかが大切なのだ

もちろんそこにあるものは好きなものだけでいい

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体験すること

何かの目標を達成するには勉強だけではまかないきれない

きっかけが勉強でありその勉強した内容を体験まで進めることによって

初めて舞台に上がれるのだ

村上春樹の騎士団長殺しの文中にはいろいろなヒントが隠されている

騎士団長殺し 単行本 第1部2部セット

僕はこの小説の文章をを着こなし術に活かす記事を書いている今日はその3章である

早速小説の文章を引用させていただく

P111

主人公が日本画家の描いた絵を模写するシーンだ

主人公は時間をかけてその日本画を観察する

全体を観察して細部をじっくり見て

そして引き付けられた部分を再度じっくり観察する

そして気に入った部分の模写をし始める

まるで本の気に入った部分を何度も自分でノートに移し書いていくように

そしてわかったことはその作業(模写)の難しいこと

自分の筆致(文字・文章・絵などの書きぶり)では表現しきれないことだった

日本画はもともと線が中心になっている絵画だし、その表現法は立体より平面性に傾いている。そこではリアリティーよりも象徴性や記号性が重視される。そのような視線で描かれた絵を、そのままいわゆる「洋画」の語法に移し替えるのは本来的に無理がある。それでも何度かの試行錯誤の末に、それなりに上手くこなせるようになった。そのためには「換骨奪胎(かんこつだったい)」とまではいかずとも、自分なりに画面を解釈し「翻訳」することが必要とされるし、そのためには原画の中にある意図をまず把握しなくてはならない。言い換えるなら、私は【あくまで多かれ少なかれではあるけれど】雨田具彦という画家の視点を、あるいは人間のあり方を理解しなくてはならない。比喩的に言うなら、彼の履いている靴に自分の足を入れてみる必要がある。

このような文章である

これはとても奥が深い内容である

着こなしに例えると雑誌を見て気に入ったアイテムなり着こなしがあるとする

そんな時

気に入ったので購入して是非とも着てみたい

その時、瞬間的に自分が着ている姿を思い起こすことができれば話が早い

とっさに判断できるかどうか

似合うか似合わないかをである

それを見極めるためにはその雑誌のスナップをじっくり見ることが大切である

全体像から細部までそして各アイテムごとに検証してみる

服の値段やブランド名をでは無い

自分が着たイメージを検証するのだ

イメージが自分に中にすっぽりと収まるようであればそこでストップ

この際のイメージとは

騎士団長殺しの文中の細部の模写である

騎士団殺しの文章では日本画を洋画家の主人公を模写しているためにそのままでは再現できない設定である

さて雑誌の着こなしを自分に応用する際のこの模写にあたる部分が

このイメージが自分に中にすっぽりと収まるというイメージ作りの作業にあたる

再三いうが価格やブランド名をイメージしても意味がない

そんな情報は捨ててしまうべきである

大切なことは感覚的なイメージである

具体的に細部を書きだすと

全体のシルエットとカラーバランス

ここのアイテムのシルエット、素材、カラー、などのことである

これらは情報として自分の着た姿に落としこむことができればそこでストップ

ということである

これが体験することにあたる

何を体験するか

自分が着た時のイメージ体験である

このイメージがすべての着こなしの土台である

雑誌を見ただけで買ってしまうようでは

勉強で言う教科書の棒読み後に勉強したつもりになっている小学生と同じであり

雑誌を開いて「素敵!!買っちゃおう」と同じことである

雑誌のモデルの履いている靴に自分の足を踏み入れるイメージができるかどうか

雑誌のモデルが着ている服に袖を通した時の自分を想像できるかどうか

買ってしまってからでは遅いのである

ちなみに文中の「換骨奪胎(かんこつだったい)」とは

他人の詩文の語句や構想をうまく利用し、その着想・形式をまねながら、自分の作としても(独自の)価値があるものに作ること。

であり、いかに自分のモノにするかということの意味を綴っている

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接すること

さてここで物に接することの大切さになるのである

イメージしたものを自分で納得して良しとする

売り場で実物を自分の目で見てもいいし

雑誌やネット上で見ただけでも構わない

実物を見ても実際に購入したらイメージが違っていたなんてことは良くあることであり

それがネットの情報やビジュアルだけであってもさほど変わらない

そこで大切なことは情報源という人のせいではなくて

自分のイメージ力の問題だからである

だから失敗を繰り返すことによって養った想像力は

経験無しの張りぼての大玉ころがしより優れているのだ

その自分の想像力を信じてものを選び触ることを繰り返すことがとても大切なことである

ものに接する行為のことである

何度でも模写をする

何度でも接する

こんな行為が何事においても成長の手助けになるのだ

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作業すること

次は自分にもっともっと合うようにアレンジできるかどうかにかかってくる

オリジナリティーの追求だ

さらにP116を引用させていただく

肖像画を描くための心得のようなものだ

肖像画を描くために必要なことは言うまでもなく、相手の顔の特徴を的確にとらえる能力だが、それだけでは十分とは言えない。それだけだとただの似顔絵になってしまいかねない。生きた肖像画を描くために必要とされるのは、相手の顔立ちの核心にあるものを見て取る能力だ。顔はある意味では手相に似ている。持って生まれたものというよりはむしろ、歳月の流れの中で、またそれぞれの環境の中で徐々に形作られてきたものであり、同一のものは一つとしてない。

この文章は人の肖像画を描くときの心構えである

しかし自画像を描くときには自分のことを同じように分析するということになる

着こなしにもこのような自己分析が当てはまる

自分を如何に分析できていて掌握できているか

その結果どんな服が似合うか

その結果どんな着こなしが似合うか

そこまでをできて初めて着こなし上手ということができる

前回も書いたがいかにスタイリストになれるか

仕事としてのスタイリストではなく

自分の人生のスタイリストになれるかということであるが、、、

服は魂で着る物であるというのが僕の持論である

だから魂に着せる服装術が常にあるのだが

その意味はその時々の心変わりで服を選んだり着こなしているうちは

本当のオシャレとは言えないということである

自分の中にある性格や心情を包み込むようなものが本当に似合った服であり

体だけを見据えて選んだ服はすぐに飽きて長続きはしないということを言っているのである

ここに引用した文章は自分の外見(対象物の外見)だけを描いたのではダメでありその内にあるものまで描いてこそ真の肖像画といえるということである

真のお洒落も同じこと

外見だけでは似合ったとはいえない

仮に似合ったものを着こなしたとしても

コーディネイトを変えてしまうと見事に似合わなくなったり

自分のいう個性に似合った応用がきかないのが着こなしの難しさであり

またそれこそがお洒落の醍醐味である

そのためには応用ができるような服(着こなし)をすることが大事である

オリジナルの自分に似合った服は既製服にはほぼ存在しないといいっていい

だが既製服を購入して着る

これが日常である

だから自分なりのアレンジをすることが次のステップの楽しみにつながってゆくのだ

このオリジナリティーというものをもう少し具体的に追求していきたい

次の章でそのへんの話ができればと思う

第4章につづく

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