なぜ神社に”お”を付けないの?お寺との違いは自分と他人の関係

目次
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神とは仏とは

まずは世間で言われている一般的な知識はすべて頭の中から削除してください、お寺は墓参りにいくところ神社はお祭りや結婚式をやるところのような一般的な知識からもっと専門的なことの知識も含めたすべての知識は邪魔ですので、、、なぜなら世間でみんなが言ってることがそれぞれ違っているので全く意味をなしていないからです

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世界中にあるそれぞれの宗教観

世界には色々な宗教が存在します

宗教に対して人がとやかく言っても始まりません

国が違えば考え方やとらえ方がみなそれぞれ違うモノです

宗教だと思っていたものがある国では哲学として存在していたりもします

大小さまざまな宗教はみな人が作りだしたものです

とらえ方が違って当たり前です

仏教もキリスト教もイスラム教もその他のあらゆる宗教といわれて存在しているものは

すべて尊いものなのです

では神と仏は何が違うの?

なぜ神社は”お”を付けないの

お寺と言うがお神社といわないわけは?

世界中の神の在り方

神様とはあらゆるモノに宿る絶大なものであり存在としてとらえられています

宗教も神の教えを説いているといっても間違いではないでしょう

大きいものでは宇宙の神あり

山の神あり、海の神あり

小さいものでは花の精とかも神の中に入りますね

世界中に存在するものの中にはすべての中に神は宿っています

もちろん人の中にも神は宿っているのです

では神と仏は何が違うの?

お寺と言うがお神社といわないわけは?

本当の神のあり方と仏のあり方

この問いに対する答えは

すでに僕は答えをしゃべってしまっています

神とは神社とは

おわかりでしょうか?

神は自分の中にも宿っています

自分自身が神なのです

自分のことを”お”を付けて呼びますか?

ですので神には”お”を付けません

神社とは己の祭られているところなのです

ですので”お”を付けません

お社(やしろ)は”お”がつきます

これは神が祭られている建物を指すので己ではありません

だから”お”を付けます

じゃあ、、、神様っていうじゃん、、何で?

神様は他に宿る神のことを指すのでさまを付けてもおかしくはありません

仏とはお寺とは

ブッダが悟りを行い教義に基づいて教えを広めているのが仏教です

これはイスラム教やキリスト教など他の宗教や仏教の中のあらゆる宗派にも同じようなことが言えます

教義(きょうぎ)とは宗教の(各宗派の)教えの内容・主張のことを言い

教義が説かれている文書を教典という

これは主たる者からから教えを乞うための教科書のようなものです

人は宗教の教えに沿って自らも悟りに近づこうとしたり

安らぎを求めたりします

仏とは他者なり

お寺とは他者に会うためのところなり

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神とは自身であり仏とは他者である

神社は自分に会いにいくところ

神社には万物の神が祭られているのです

神とはこの世に存在するあらゆるモノに宿った魂のことです

その中にはあなた自身も含まれます

もちろん僕自身もです

そして神社はその万物の神が祭られている場所なのです

自分自身に会いに行くことが神社に行く目的なのです

神は自分自身でもあるので神道には教義や教典はありません

神道は他社から教わるものではないからです

神道は自らの歩みの中から生まれて成長するものです

神社は

自分と出会うところだから”お”を付けない

自分とつながるところ

自分に会うところ

自分を置きにいくところ

自分の魂を自覚するところ

お寺とは他人に会いにいくところ

お寺は人と出会うところなのです

亡くなった過去の人の魂と出会うところです

その気になればどんな人ともコンタクトが取れる場所がお寺です

お寺に行く目的は他者に会いに行くことなのです

自分にとって大切であった他者に会いにいくところなのです

神社が自分自身と出会う場所であれば

お寺は他社と出会うことができる場所です

お寺は

他者と出会うところだから”お”を付ける

他者から教えてもらうから教義がある

他者とつながれるところ

他者がいるところ

まとめ

世界には色々な国があり

世界には色々な考え方があり

世界には色々な宗教があり

世界には色々な哲学があります

その様々な国や地域の中の日本という国に僕は生まれて住んでいます

あなたもおそらくは日本でお住まいの方でしょう

(このブログは1~2%の方が海外から訪れて来てくれますが)

この日本ほど宗教に対する考え方がいいかげんな国はほかには無いです

これは良くも悪くもです

良く言えば

いいかげんとは良いかげん

悪く言えば

いいかげんに(どうでもよく)考えている

ということです

なぜ日本は宗教に対するこだわりが他の国々と比べて曖昧なのでしょうか

それは日本古来の”神”の存在が大きいからです

日本人は生活の中で

神と仏

神社とお寺

仏教とキリスト教

をうまく使い分けています

しかもごく当たり前のようにです

まるで和食と中華料理と洋食を食べ分けるぐらいの

とても軽いノリでです

すごいと思いませんか、、日本は、、、、

しかも日本の食文化は世界中の食事を食べることができますからね、、、

それと同じ感覚で生活に密着した様々な行事を

一番快適な方法で

しかも

自分自身がいいと思った方法を

自分自身で自由に選ぶことができるのです

僕は日本人に生まれて本当に良かったと思います

心から

この曖昧な

このいいかげんな

宗教観や文化を愛します

なぜなら

そこには人を尊重するという

いたわりの精神があるからです

僕はこの記事を書くにあたっていろいろなことを考えました

日本でなければもしかして

神社とお寺の宗教戦争のような内戦が起こってもおかしくないのではないか

過去の日本の歴史の中では

もしかしてそれに近い争い事があったかもしれません

しかし今の日本では200%ありえないでしょう

それは日本人の愛すべきいいかげんなこだわりの薄いあいまいな宗教観があるからにほかありません

自身を神ととらえて神社を愛す

他者を仏ととらえてお寺を尊ぶ

僕はくだらない過去の儀式や行事を重んじて間違いを正すより

神は私

仏はあなた

的な、、、、こんなにわかりやすく理屈のいらない考え方が

今の21世紀の平和な時代には適しているのではないかと考えます

世界中が日本のこの考え方に同調してくれたら

争い事はなくなるのではないでしょうか

未来へのまとめ

やがて近い未来に

今の白人支配といわれているこの人間社会が

変わる時を迎えます

おそらくこの日本を中心とした地域が先導して

今より争いのない人間社会を構築する日を迎えるでしょう

その時

今生きている同じ人類が

幼年期を終えて次の世界を作り上げるからです

ですので

僕たちも次の世界を迎えるための準備をしませんか、、、、

その日のために今から

考え方だけでも変えてみましょうよ、、

空から地球を見降ろすと人生観が変わりますよ、、、、

考え方まで地べたを這いつくばらなくてもいいでしょ、、、、

この自由な21世紀に、、、、、、、、、、、、

正義の味方になる術の学びロックとアートを身に着け空から地上を見るのだ

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