抽象画の意味と鑑賞法は目で見るか心で観るかピカソか非凡な豚か人とビガッソ?それとも絵を描く象か

目次
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抽象画とはその見方

抽象画とはまとめ(結論)

僕はまとめから書くのは初めてですが今日はどうしても最初にまとめを書きたくなりました

抽象画とは

その絵を見る人の内面を表現したものであり

心の奥に潜んだ潜在意識を導くための究極の手段なのです

だから抽象画の表面を見ていてもただの絵の具の走り描きであったり

抽象的なモチーフにしか見えなかったりします

しかし抽象画の実態はあなたの心の反映なのです

だから

抽象画を描く人は(豚のピガッソもですが(笑))

無意識に描いているのです

観る側も

無意識になれた時にその絵の意味するところが想像力で創造されるわけです

抽象画と具象画の違いは一言で言えば次のようなことが言えるのです

抽象画と具象画の違い

描く側として

抽象画とは

モチーフの中身(内に秘めた思い)を追求してビジュアル(視覚的)に表現したもの

具象画とは

モチーフの物質(色、形、質感)を追求してビジュアル(視覚的)に表現したもの

観る側として

抽象画とは

あなただけのとらえ方で理解するべく鑑賞できるようにあなただけのために描かれた絵です

具象画とは

モチーフのオリジナリティーを見せる為にモチーフのために描かれた絵です

絵画以外も同じこと

もし作品が絵ではなく彫刻などその他の表現手段であればの部分を差し替えれば同じことが言えるわけです

このように世に中には作者が心の目で創作した作品は絵画以外にもいろいろあるので

絵画以外のいろいろな表現の作品に対して同じとらえ方ができるわけです

写真やコピーなどはある意味一番具象な表現方法だといえるかもしれません

最近開発された3Dコピーなどは彫刻よりも具象的な立体作品といえるのです

抽象画と具象画の違い

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たとえばピカソの絵

ピカソはいろいろな意味でいろいろな人々の話題になる人です

それは話題性のある絵を描くからですね

なんであんな絵にあんな値打が付くのとか

わけのわからない物事をピカソのようだとか

「誰でもピカソ」なんていう番組もありました

いずれもある意味万人受けのする意味合いで引用されていることがらです

訳がわからないけどピカソみたいだね、、、、?!

でもカッコ良いジャン、、、、、

みたいな、、、

そんな使われ方をしています

抽象画といえばピカソ

そんなイメージが強いからだと、、、

僕はそう感じるんですがいかがでしょうか、、、

抽象画と具象画の違い2

ではなぜ?ピカソのような抽象的でわからない絵がこんなにも人気があり

こんなにも人々の話題になるのでしょうか

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雌豚の「ピガッソ」の絵

最近話題のメス豚のピカッゾをご存知でしょうか

「ピッグカソ(Pigcasso)」という呼び方が正しいっていうわさもありますが

ピガッソでもピッグカソでもどっちでもいいのですが

名前のピガッゾはピカソを意識したわけではないでしょうがね、、、

とにかく動物でも筆を持たせば、調子コイテ描きだす場合もある

しかも習慣になれば豚も象も絵描きになるのです

豚のピガッソの絵は32万円でも売れてしまいます!!

これはどんな現象なのでしょうか

人間って、、、ここで難しく考えてしまうのですね

もっと単純に考えると見えてきます

何がッて??

抽象画の見方がです

豚になればいいのです

描く側はすでになっていますので、、豚にです

だから抽象画が描けるのです

だから見る側も豚になることで抽象画を理解できます

ピカソも抽象画を描くときは豚になっています(笑)

要は無意識になっているということなのです

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人もピカソで豚はピガッゾ!だから誰でもピカソ

平凡な人は信じる前に証拠を要求します

そして証拠を見いだせないモノに価値を見出すことができません

ところがこれは勘違いなのです

これとは何か

平凡だということです

この世の中に平凡な人は一人もいません

人それぞれ同じものは持ち合わせてはいません

どんなに自分のことを平凡だと思っていても

他人から見れば違う人間であり

一人として同じ人間は存在しません

それって一人一人非凡な個性を持っているということです

だから誰でもピカソであり

だから絵を描く人は非凡であり

だから絵を観る人も非凡なのです

無邪気になること

人が描いた絵でも豚が描いた絵でも同じことですが

邪気がある絵は理屈をこねたものになってしまうのです

邪気は証拠を見せろと理屈をこねます

「この絵のどこに100万円の価値があるか証拠を見せろ」

具象画であって景色や人物を描いたものは

写真で撮った作品より感動したり表現が豊かであれば

その絵の価値を見出すことができます

実在するものであることに人は物の価値を見出すからです

はじめに書いたように

具象画とはモチーフの物質(色、形、質感)を追求してビジュアル(視覚的)に表現したもの

だからです

だから具象画は

具象画とはモチーフのオリジナリティーを見せる為にモチーフのために描かれた絵です

だから万人が同じような感覚感性でその絵を評価することができるのです

しかし抽象画は

抽象画とはモチーフの中身(内に秘めた思い)を追求してビジュアル(視覚的)に表現したもの

いわば、あなただけの非凡な感性でその絵を観ることによってイメージできるものなのです

ですので

抽象画とは

心の情景を

描く側も観る側も心で描き心で観るものなのです

対して

具象画とは

物や景色などの物質的物を

描く側も観る側も心で描き心で観るものなのです

もちろん作品の中にはこの両面を混ぜ合わせて表現したものが存在しますが

一言で言えば

抽象画とはあなただけの心の目(とらえ方)で理解するべく鑑賞できるようにあなただけのために描かれた絵です

あなたの心がとらえた視覚をあなたの心で消化したイメージが

モチーフの中身(内に秘めた思い)を追求するのです

イメージと言葉と感情

無邪気なのは人だけではありません

いや、、、、

ピカソは無邪気ですので無意識に抽象画を描くことができますが

普通の人はなかなか無邪気にはなれません

いや、、、

ちょっと待ってください

人は皆非凡なんだから普通の人なんていないはずです

ですので人は皆無邪気になれるはずです

イメージと言葉と感情を持っていれば無邪気になることができます

しかし無邪気になったり無意識になるには多少の訓練が必要です

訓練というよりも習慣でしょうか、、、

常に無邪気や無意識を意識して生活をしていることが必要です

大人の人間は自由になれないものです

イメージ

イメージは自由への第一歩です

自由とは自分の思考の足かせをはずすことです

足枷をはずすには素直に無邪気になり

ピカソのように

豚のようになればいいのです

イメージを作るのはあなた自身です

言葉

ここで言う言葉とは自分との対話のことで

セルフトークともいいます

ひとりごとですね

言葉に出さなくても

人は一日中自分へかたりかけているものです

そのセルフトークを過去への感情に使わずに未来への道筋として使うようにします

なりたい自分の実現のためのセルフトークを心がけるということです

じぶんを束縛しない

感情

イメージを持ってなりたい自分を想像するためには気の向くままの自由な感情をおさえないことが大切です

無邪気とは自由な感情を野放しにすることです

そんな心で抽象画を見ることができればあなただけの素晴らしい世界がそこに現れます

それこそが抽象画の正体なのです

そして自由になったあなたの感情があなたの人生を成長させてくれるのです

こんな内容を動画にもまとめてみました

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