ジョンレノンもポールマッカートニーも俺は似合わない、財津和夫も姫野達也も俺は似合わない、だから曲のタイトルは
俺がつくった愛のうた
ではなく
ぼくがつくった愛のうた
がふさわしい
俺が似合うのはミックジャガーとキースリチャーズだ
だからチューリップは
日本のビートルズであり
日本のストーンズにはならないのだ
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デビュー
1972年に「魔法の黄色い靴」でデビューするもたいしたヒットにはならなかったですね
このころイギリスではヤードバーズも解散してレッドツェッペリンやクリームが活躍していました
そしてもちろんビートルズやローリングストーンズも
いやビートルズは1970年にはすでに解散していて永遠のスターになっていましたっけ
しかし日本ではチューリップがいました
話を戻すが「魔法の黄色い靴」は
誰が聴いてもいい曲とは言えません
完全な財津和夫のマスターベーションの曲であり
オフコースを思いだしそうで気持ちの悪い曲です
オフコースといえばチューリップの財津は
やたらとオフコースを意識してライバル視していたらしいのですが
チューリップファンからすれば
全然違うジャンルなのになんでオフコースみたいな気持ちの悪いミュージシャンを
そんなに意識するのかが理解できないですね
全く持って、、、、、、
確かに財津はたまにオフコース風の気持ちの悪い曲を作りますが
基本的には僕らが好きなチューリップは1973年以降なのだから
財津はファンのことを理解してないですね
いずれにしても70年代はエキサイトした時代、最高の時代でした
だから本当のチューリップは
1973年の「心の旅」の発表からであり
この後のヒット曲は凄まじく僕らの青春時代を刺激したものです
そして恋をするたびに口ずさむ曲はチューリップオンパレードになったわけで
好きな彼女を心から大切に思う時には
好きになった子(女)を自分のモノにしたいときには
ささいなことで傷つきあった時には
こんな具合に僕ら1970年代の青春は過ぎていったものであります
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同窓会(同期会)で
私事ですが
最近行った同期会の三次会でカラオケを歌えるスナックに入ったのです
三次会にもかかわらず30人以上の同期のメンバーが残り
その半数は朝帰りになるまで歌い語り合ったのであります
1950年代後半の僕らは当然のことながら70年代の曲がメインになるのであって
荒井由実の卒業写真
バンバンのイチゴ白書をもういち度
ゴールデンカップスの長い髪の少女
吉田拓郎
かぐや姫
当時の名曲オンパレード
20曲ほどの選曲の中で
その中で唯一複数の選曲があったのは
まさにチューリップなのである
好きな彼女を心から大切に思う時には
好きになった子(女)を自分のモノにしたいときには
ささいなことで傷つきあった時には
そしてこの曲
1973年の「心の旅」
こんな具合に僕ら1970年代の青春を思いだすのです
そんな同期会が瞬く間に過ぎていったのでありました
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思い出は永遠に
ビートルズがなきジョンレノン以外のメンバーでリバイバルで行った
フリーアズアバード
フリー・アズ・ア・バード (Free as a Bird) は、イギリスのロックバンド、ビートルズの楽曲。ジョン・レノンの未完成曲を残りの3人のメンバー、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターが手を加えて完成させた。プロデューサーは、ビートルズの殆どの楽曲を手がけていたジョージ・マーティンが聴覚の衰えを理由に断った[1]ため、代わりにジョージ・ハリスンと仲が良かったジェフ・リンが担当した。
このビートルズの行動はチューリップに影響を与えたのです
メンバーの姫野が提案してチューリップの再結成に至ったのだそうで
そして僕らの1970年代の経験と思いでは
チューリップの名曲の中に生きている、今でも
そしてこれからも永遠に、、、、、、、、
チューリップを生んでくれたビートルズよ
ありがとう
チューリップを生んでくれた財津和夫よ!姫野やメンバー全員!
ありがとう
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