子どもたちの子どもたちの子どもたちへ★本能と山手線のホームガードの関係について

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デコドルフィンの作品が買える店
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子供たちの子供たちの子供たちへ1

子どもたちの子どもたちの子どもたちへ感性に生きる子どもたちと山手線のホームガードの関係について

という変なタイトルだが日本のしかも大の大人のやることはもっと変なことばかりではなおだろうか

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浮世系と浮世離れ系

橘川幸夫さんの本で「森を見る力」というタイトルの本を読みだした

冒頭部分からとても参考になる良いフレーズが多々あるのでなかなか面白い本だ

こんな内容の部分があった

 山手線にホームガードが付き出した まだまだ全面波及には程遠いが 徐々に都内のJRのホームが改善されつつある だがココで波及するための妨げになることが問題になっているという もちろん多大な経費も問題ではあるが もっと切実な問題に気がついた

こんなような内容だ

よけいなことを思い付いたわけではなく人類にとって重大な問題を思い付いてしまったのだ、、、、

本のタイトルにあるように森を見る力がないと思い付かないことなのである

よくよく考えてみるととても大事な問題なのである

まあそれは後で話すとして

まずは木を見る力の次元の話をしよう

それは車両の扉の間隔とホームガードの間隔が同じでないと設置できない

当たり前のことである

設置できる条件は 車両の扉の数が統一されていなければならない

しかし都内中心にラッシュ時の混雑対策として

扉の数を多くした車両を作ってしまったのだ

これでは設置したガードと車両の扉の位置が合わなくなるという致命的な問題が発生することになる

しかしまぁ 後先考えずにこんなアホなミスをするなんてことは

国鉄時代の公務員体質がまだまだ残っているんでしょうかねぇ、、、(笑)ッて僕は思った

民間企業だったら大失態ですよ (普通の民間ならばね)

子供でもわかることなのだが、、、

こんな現状が山手線のホームガードの設置を遅らせているのだ

それでも少しずつ設置が始まったガードレール

そこで考えなくてはいけないことがあるのだ

なぜこの記事のタイトルを

子どもたちの子どもたちの子どもたちへ

と名付けたかということにつながるのだが

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単サイクル的対応策木を見る力│浮世系

まず3つのことを考えてみると

ことの始まりは2つある

1)そもそも山手線に限らずホームが危ない

自殺者とか転落者防止のためのホームガードの設置

これは原因と思いつき経験に伴う思考での行動 &単サイクル的な予防

2)現状のラッシュ時などの混雑を解消したい

扉の数を増やせば人の移動がスムーズになるのではというアイデア

これも原因と思いつき経験に伴う思考での行動&単サイクル的な予防策

そしてJRが行った失態

3) 1)と2)に対して思うことは同じ人間が考えていればこんなことににはならない

思考の知的矛盾が伴う判断ミスである

相反する思考と行動を同時に進行させる愚かな行為である

ラッシュの問題や

投身自殺や落下事故などは

今始まったことではない

昔からある問題にも関わらずどうしてこんなチグハグなことをやってしまうのでしょうかね

浅はかな思いつきで単サイクル的幼稚思考ということになる

これは森を見るどころか木すら見ていない

せいぜい葉っぱ根っこぐらいを見てるだけ

対処方法としては早いとこ車両の扉の数を統一しましょうね ってことでしょう

でなければ

ホームガードの設置をやめるか

そこで次の話

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浮世離れ系的発想│が未来を救う

子どもたちの子どもたちの子どもたちが生きてゆくために必要な行動は

木を見る力ではだめである

森を見るべき

少し下がって全体像を見ないことには大きな視野で思考できませんね

もしこのような森の発想ができていれば

果たしてホームガードの設置をしたでしょうか

このままホーム転落事故が減り

このまま飛び込み自殺が減り

ラッシュアワー時の混雑も解消できたと相成りました

メデタシメデタシ!!はいパッパ!!

でいいいいのでしょうか、、、、、、

さてときは流れて都内のJR及び地下鉄のホームは安全な状態になりました

子どもたちも安心して電車の乗り降りをできるし良かったねって、、、、、

その子達は果たして幸せでしょうか

その子達はホームガードのない駅のホームに立ったとき無事故でいられるでしょうか

人は本能で生きることを必要としなくなり

本能で行動することから遠ざかったときに

ホームにガードがなくても大丈夫でしょうか

恐ろしくてホームに立てない子供が出てきたらどうします

人は守られることで失うものがどれほどあるか考えたことがありますか

そんな時のために学校で本能の使い方を教えてくれますか

森を見ることができない

木を見て考える力しか無い

そんな大人たちが子供を守ることができますか

子どもたちの子どもたちの子どもたちへ

生きる力を与えるとは、、、、、

生きる幸せを教えるとは、、、、、

果たして ホームガードは必要ですか

大切なのは本能という心の中の”ホームガード”ではないでしょうか

浮世にばかりひたってないでたまには浮世離れでもしましょうね

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