ブログのつかみ(掴み)とはこれから始まる物語への興味をそそらせるためにある良い人生もしかり

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サマンサフォックスを掴む1

 サマンサ・フォックスは1980年代のスーパーヒーローだった

その人気はかのマドンナ以上のものである

だがサマンサの歌をいち度でも聞いたことがある人ならば

なんでこんなに人気があるのと首を傾げるだろう

しかしサマンサにはマドンナが逆立ちしても立ち向かえないものすごい武器があったのだ

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体で男をつかむ女

それは彼女の肉体

スーパートランジスタグラマーな体である

サマンサ曰く「マドンナなんか私の敵ではないわ!!私がタンクトップ姿でステージに立てば世の中の男たちはイチコロよ」

彼女の武器は実際に凄まじかった

サマンサ・フォックスはタンクトップ姿以外にステージから降りたときの別の顔があった

それは見事な上半身を惜しげもなくさらけ出した多数のピンナップである

時には全裸のスナップも惜しげなく披露したのだ

彼女はミュージシャンとしてステージに立つときは無防備に肌を露出することはない

しかし観客は期待に胸を躍らせながらコンサート会場に足を運ぶ

もしサマンサがステージでもスペシャルな裸体を惜しげもなくさらしていたならば

ただのヌードダンサーで終わっていただろう

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彼女の凄さはその体とそれ以上のつかみ(掴み)を持ちあわせていたことだ

蛇足だがマドンナも同じ頃全裸のピンナップを多数公表していた

しかしマドンナにとっての武器はそこにはなかった

魅力のある掴みとは

サマンサの肉体はそれそのものがまさに(掴み)であった

つかみ(掴み)とはこれから始まる物語への架け橋である

興味をそそることができるか否かで良し悪しが決まる

それは人に対する興味の場合もあるし

小説をいかに手に取らせるか

それも掴みの良し悪しである

では良い掴みとはどんなものなのか

それは嘘ではいけない

いやいや嘘をついてもいいのだが自分に嘘をついてはいけないのである

文章というものはうそ(虚像)の反映であるから嘘をつかなければ文章にはならない

ただやってはいけないことがある

それは自分に嘘をつくことである

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自分の嘘(言い訳)はどんどん書くべきであって

言い訳を書くということは自分に忠実であり

自分に誠実であり

世間に対して誠意を見せていることである

だから自分が人に嘘をつかないと文章は成り立たない

言い訳を書けばいいのだ

世間に対して嘘をつくということである

自分に対して嘘をつかないということは

人に言い訳をいってもいいということである

正しい人間は良い訳(いいわけ)をする

良い訳もできない人間では小説など文章など

面白い物語など書けるものか

正しい文章とはそういうものである

人生もしかりそう有りたいもの

たとえ世間を欺いたとしても自分には嘘をつかない人生でありたい

そうすればやがて世間が自分に追いついてくるであろ

良い人生とは上手に言い訳ができる人生なのだ

サマンサのようにハッタリをきかせた掴みができる人になりたい

だから言い訳上手になればいいのだ

        by摂氏非凡(セッシヒボン) もっと良くなる人生ノート★ライフログ★ http://decodolphin.net/category/magic-note/

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