島田順子が教えるおしゃれのスタンス|日本人の着こなしと性格はパリジェンヌにはありえない

目次
デコドルフィンの作品が買える店
デコドルフィンの作品が買える店
島田順子&パリジェンヌ

日本人とフランス人の着こなし(センス)とではいったい何が違うのか

おしゃれ感覚の違いとその生活背景から考えてみた

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サワコの朝にゲスト出演した島田順子は2020年の東京オリンピックのユニフォームにもかかわりを持つらしい、今日は2016年の12月10日、サワコの朝はどうでもいいんだけど島田順子がゲストとあっては書かざるおえないんだな、僕が東京とパリの両方で直接会って打ち合わせをしたデザイナーは二人だけでコシノジュンコと島田順子なので、、、確かに面白い人だよ,パリで活躍する日本人のデザイナーは最近増えてきているが、パリに住みながらパリを拠点にして活躍している日本人デザイナーはそんなに多くはない、その中でも高田賢三、入江末男、島田順子の3人のデザイナーは先駆者的存在である、日本(東京)とフランス(パリ)ではファッションに対する考え方が根本的に違うこともあり、日本人のデザイナーが定着することは至難の業である、一時的な話題を生んだり、日本を拠点にしてパリに出店しているメーカーは最近増えているがなかなか定着することはない、それでは何が違うのだ、日本とフランスでは、、

日本人の何がダサいってみんな同じ服着てるからさ脱トレンドしろよって思わず言いたくなるよね、ファッションが好きなくせに何で人と同じ着こなしになってしまうのか、、

成田空港を降りて都内の自分のブティックがある代官山に行くまでの間に、今東京で流行ってるトレンドがわかってしまう、「日本人て自己主張しなくて人がいいのね」

とサワコの朝の番組の中でサラッと言った島田順子

もうこの一言だけでこの記事は書かなくていいくらいすべてを表現している名言だ

人と同じでいいのは制服だけだ

制服は同じ団体に所属していることを人に知らせるためにある

個性を、自分を、人に表現することを目的の一つとするファッションに

人と同じになる必要は全くない

いや人と同じになんかなってはいけない

さらに言うと人と同じに見えてしまうのは、超気持ち悪い

今日はそんな気持ち悪い日本人(男女共通)のみっともない着こなしについて話をするとしましょうかね

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なぜトレンド(流行)を追うのか

世界中で日本人だけが人目を気にしたファッションをするのである

A型人間はまず人目を気にする

これは僕自身がA型だからよくわかることである

ちなみに島田順子も血液型はA型である

A型にもいろいろな性格があるのであるが、、、

もちろん自分でわかっているから間違いのない事実である

日本人は世界の国の中でも割合としてA型が非常に多い人種らしい

そのせいもあるのかもしれないがファッションにおいても

自分の為ではなく人に見せる為のファッションが目立つ

いや人に見せる為のファッションというよりも

人の目を気にしたファッションと言ったほうが正しいだろう

僕はA型人間だが血液型に関係なく人と同じものを着ることが

何より嫌いな性格である

もし人がとてもカッコイイ服や着こなしをしているのを見た時

自分も同じ服や物を欲しいと思う

それは誰でもそうだと思う

そして、手に入るものであれば絶対に欲しいので

どうにかして手に入れるだろう

ここで考えてほしいのは

自分が欲しいと思ったものが

どんな物だったのかということである

人が着ていて自分もほしいと思ったもの

それが

  1. 雑誌をにぎわせているような今流行りのアイテムの可能性もある
  2. 流行とは関係のないオーソドックスな流行り廃りのないものかもしれない
  3. 好きなタレントが着ていたから自分も欲しくなっただけかもしれない
  4. もっと別の理由もあるだろう

以上のことが考えられると思うんだが

自分の物欲を引きだしたきっかけがどれであってもいいのである

人によって様々な物欲があるのは当然だから、、

さらに縁あって手に入れることができたアイテムを

  1. すぐに着たくなる人
  2. 大切にとっておいて着るチャンスを狙っている人
  3. 着ないで大切にコレクションにしてしまう人

これも人それぞれであり色々なパターンがあって当然である

僕もケースバイケースで

色々なモノが欲しくなったりするし

いろいろな使い方やコレクションの仕方をするときもある

それは手に入れた物が

自分にとってどのような価値観があるものかによって

異なった使い方や保管の仕方になるのだ

ここで問題にしたいことは

なぜほしいと思ったのかということである

流行っているからなのか

自分に似合うと思ったからか

どんな心構えで手に入れたが大切なのだ

流行っているからでもいい

そこに自分の個性をひきだす着こなしができる要素があればそれでいい

なぜならば、ファッションとは自己主張であるべきであるからだ

なぜトレンド(流行)を追うのか

その理由が自己主張であれば立派なファッションだ

その理由が世間で流行っているからであればただの制服だ

島田順子が言うところの

「日本人て自己主張しなくて人がいいのね」

ってことだ

僕は何もそれが悪いといっているわけではなく

お洒落ではないといっているだけである

お洒落に興味がない人はこの記事を読みに来ないだろう

であるのなら、自己主張しなくてはならない

流行を意識してもいいから、、、、、、

ただし流行は追うものではなく探すものである

どこで探す、流行を

世間で何が流行ってるのか

季節ごとに流行は文字どおり流れるものである

しかし日本人の勘違いはそれを追っていることである

流行は追うものではなく探すものである

なぜって、、

大切な流行とはちまたの流行りすたりではない

大切なのは自分の中の流行を探すことである

ちまたの流行は買うためにあるのではなく

参考にするためのあるのだ

そしてちまたで流行っている流行が

自分とマッチしたときに

ちまたの流行を取り入れればいいのだ

大切なのは

その自分の中にある流行を探すことである

マイブームを探すことである

ところが日本人は

ちまたの流行をそのまま着てしまう

雑誌で紹介された服を

雑誌で紹介された着方で

雑誌に紹介されたとおりに

買って

着て

歩く

そのマンマで

しかもみんな同じことをしている

気持ち悪ッ!!!!!!

ムシズが走る

そして季節が変わっても

同じことを繰り返すだけ

新しい年と共に

新しい服を着る

それまたみんなと同じ服を

そして僕はまたまた

気持ち悪ッ!!!!!!

ムシズガ走る

自分の中の

自分だけの

たった一つの流行を

速く見つける旅に出なさい

それが正しい流行というものなのだから

日本の文化と着物

ここで少し時代をさかのぼってみますね

なぜ日本人はみんな同じ服を着たり

みんな同じような着こなししかできないのか

ちょっと考えてみましょうね、、

今では少なくなってきた着こなしとして

日本の着物がある

昭和の初期ぐらいまでの日本人は

洋服と着物を使い分けていた

最近は少なくなってしまった

一般的な庶民の生活の中に息づいていたのが

日本古来の着物である

今現在の着物の流行はあるが

それはたまたまトレンドとして着物の新しい着こなしがはやっているに過ぎない

今現在(2016年)ではまず着物を普段着として着ている人はごく少数になっている

そんな日本人の着物文化は

今現在の洋服の着こなしにも影響があるのだろうか

たとえば比較としてだが

100年前のパリジェンヌの洋服と

100年前の日本人の女性の服装を想像したときに

それこそ流行はその時の様々なものがあるが

着物の場合は着物というものの着こなしに変化があったのだろうか

これはあくまでも僕の想像上の話であるが

着物は着こなし方にバリエーションがさほどなかったのではないだろうか

たとえば家庭の主婦や料亭の女将や

いろいろな立場によって着こなしの違いこそあれ

着物の着こなし方というものは

ある程度決められていた(決まった形)があったのではないだろうか

一方、パリジェンヌの100年前の服装は

洋服という様々なアイテムがあり

アイテムごとにいろいろな着こなし方の

バリエーションがたくさんあり

当時から着こなしのバリエーションになじんでいたのではないだろうか

着物文化で生活をしていた日本人には

ファッションとしてのいろいろな変化が乏しく

その反面色柄や素材のバリエーションはあったであろうが

着こなしのバリエーションを体験することはなかったのではないだろうか

過去の文化の違いが

今のファッションに対する対応の仕方が異なるのではないだろうか

特に日本人の中にある服の着こなしの概念が

型から外してはいけないんだ

みたいな、そんな日本人の服装に対する固定概念が

いまだに気もの文化のそれに影響されているとは考えられないだろうか

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東京とパリの街なみを比べてみる

都市や街というものには歴史がありその場所が経験した様々な歴史があるものである

ここでは東京とパリの街を比較してみたいと思う

あっ!!なぜ街並みの話をするかというと

パリジェンヌと東京女子とのファッションセンスと

とても関係があるからである

ちなみにパリジャンと東京男子のファッションも例外ではない

歴史的な背景などの話はここではしない

あくまでも現在の客観的な風景としての話をしたいと思う

東京の街並みの僕の感想は

嫌気がさすほど汚く嫌いだ

自分が住んでいる街のことをこんな言い方をしたくはないのだが

とても嫌いだ

パリの街なみの僕の感想は世界一好きだ

世界中の街を知っているわけではないが

僕が知っている範囲の町の中でナンバーワンである

とても綺麗な街並みだ

人によって感性の違い

とらえ方の違い

好き嫌いの違いはいろいろあるので

あくまでも僕の感想であるが

これだけは断言する

街と人は同じ顔をしているのである

それは服装もその中にもちろん入るのだ

具体的に話していこう

東京は最近とても新しく綺麗な街になってきている

それに比べてパリの街は100年以上前の街並みとほぼ同じ外観だ

新しくはなっている東京の街並みは建物一つ一つを見てみると

新しく綺麗であるが町全体の統一感が全くなく

色も

形も

材質も

あらゆるモノの統一感が全くといっていほど無い

場所(一分の区域)によっては区画の外観を意識しだして建築しだしたところもあるが

なんだかわざとらしくて見苦しい

パリは古いままではあるがすべての建物が町全体の統一感を崩さない素敵な外観をしている

色も

形も

素材感も

すべてが素敵だ

古く薄汚れている建物がほとんどである

一部の有名な建物などは

ホコリや汚れを取り除きまるで新築のように手入れをしているが

ほとんどはアンティークの建物特有の古ぼけたイメージである

しかしそれも又、街並みの魅力の一つになっている

何より建物自体がほとんどが立て替えるより内装を変える方法をとっているのである

今では新しく立て直すと再現できないような建物も数多く見受けることができる

この東京とパリの両者の街並みと一つ一つの建物を比べると

パリのほうが優れているのは間違いない

あくまでもアート的に

あくまでも美的センス的に

ということにしておこう

さらに建物の中に至ってはこのような違いがあるのだ

東京の建物の中は

どんな外見の建物であっても

ほぼ同じような個性のない部屋の作りになっている

部屋というだけではなく家具や内装の雰囲気に個性が見当たらないのである

パリの建物の中は個性の塊である

一軒一軒が自分の好きな内装になっていて

ありえないほどのバリエーションに富んでいるのだ

町全体の素敵な統一感の中に

一人一人の個性にあふれた内装がパリの街と建物である

一方、東京の街並みには統一感がなく内装に至っては無個性な平坦なドセンスなしの部屋

大切なところに統一感がなく個性を出すべきところに個性がない

そんな東京の街

統一感がありまとまったセンスがある街並みに一つ一つの個性にあふれた内装が存在する

そんなパリの街

それはまるで

パリジャンの着こなしと

東京人の着こなしと

全く同じ内容なのである

東京の着こなしは

新しいアイテムを買い着こなしはみんなと一緒

さらに毎年新しい服を買いみんなおんなじ着こなし

みんな同じような性格を目指して個性ある中身を目指さない

パリの着こなしは

以前から持っている古いアイテムを工夫して着こなしたり

細部をアレンジしたりして自分独自の着こなしをする

新しい世間の流行には敏感であるが

あくまでも自分独自の個性を生かしたトレンドのチョイスをして

自分の個性を最優先する着こなしをする

街のセンスが住んでいる住人のセンスに乗り移っているのである

街が人のセンスを変える

言いかえれば

センスのある人が作る街は

センスがある人を作るのである

そこに訪れた人はそのセンスの魅力に魅了される

そして引き付けられるようにそこに住みたくなる

もともと住んでいる人もまたそんな魅力のある街に溶け込み

さらにセンスを磨くのである

次はそんなパリの魅力に魅了された二人の人の話をしよう

パリに魅了された日本人

さて、今日の記事のタイトルは島田順子である

しかもパリジャンが絶対にやらないことを

日本人がやっちゃってるということを証明している人である

そのことは今までに書いてきた内容で理解してもらえると思うのだが

肝心の島田順子(junko-shimada)のことに触れなくてはいけない

自分のことで恐縮だが僕は島田順子とは何度かあって記事の打ち合わせをしている

その時のエピソードを交えて少し話をすると

一般的に先生と呼ばれるような人や有名人はなかなか人の名前を覚えようとしないのだ

島田順子もその一人であるが

僕のことを2度だけ呼んだことがある

実名ではなく職業で呼んだのである

当然僕の名前を知らないからであるが

いち度は「型屋さん」かたやさんである

ジュンコシマダのライセンスで生産している子供服の生地の打ち合わせの時で

プリント柄の打ち合わせをしている時に

僕がプリントの柄を作るための型というものがあるのだがそれを作っている人だと思ったらしく

型屋さんになったわけで祖のままとおして最後まで打ち合わせをしたのである

さらに2度目はジュンコシマダのパリコレを見に行った時に

ショーの打ち上げの際、パリの島田順子のオフィスでみんなで乾杯をした際に

僕が一眼レフのカメラを2台首からぶら下げていたのでカメラマンと思ったらしく

カメラマンさんと呼んできた

当然のことながら、前回の型屋さんとカメラマンさんが同一人物だなんて思っていないし

そんなことはとっくの昔に忘れているだろう

シャンパンをよく飲んで陽気にはしゃぎながら打ち上げを楽しんでいたので

面白かった思い出である

サワコの朝でもダンスが好きで朝まででも踊ってしまうと話ていた

でもお酒が入ってないとできないのよと言った途端

スタジオのスタッフも笑っていたのが印象的だったのだが

そんな島田順子に40年来の友達がいる

同じくパリ在住のデザイナーである

入江末男だ

彼は僕にとっては

真のカリスマである

ケンゾーブランドで高田賢三のニット担当のデザイナーとしてパリで仕事をした後に

森英恵の会社でスタジオVのファッション部門を手掛けていた際に

僕は記事やのデザイナーとして入江末男と打ち合わせをする機会に恵まれて

僕は多大な影響を受けたのである

詳細は別の記事にするとして

島田順子と入江末男は40年来のパリでの友達関係である

二人の才能はもやはりパリで育てられてといっていいであろう

新規ドキュメント 9

↑クロワッサンより↓

新規ドキュメント 9_2

二枚の画像は2013年のクロワッサンの記事で

入江末男のパリのサンジェルマンの家に島田順子が訪れた内容のものである

ここで二人が語っている内容はまさにパリで生活をすることの素晴らしさを実感することができる

あくまでもファッションとかアートとかに関しての素晴らしさであるが

入江末男の住まいは特別凄いのだが

世界中から自分の好きなものを集めてきてそれらのアンティークなどに囲まれて生活しているのであるから

しかしそこには入江末男の世界感があるのだ

ほかの誰でもない

世界で唯一の自分独自の世界感が存在するのである

島田順子はパリ郊外に住み

都会が好きな入江末男とは正反対の

田舎のくらしをしているのであるが

負rたりの生活空間は

いずれ劣らぬ

独特の自分だけの世界感があるのである

しかしある意味超セレブであるこの両者に限らず

パリにあこがれて観光に来る人や

長期滞在している人のほとんどが

多かれ少なかれ

彼らと同じような自己主張、独自の感性、唯一無二のモノ

それらにふさわしい感性を持つためにパリでの滞在を経験したり

住んでいるのである

もともとのパリの住人はもとより

訪問者のほとんどの目的は

この素晴らしい場所が大好きなのである

この僕もパリに魅了された一人であるので

とても良くわかる感覚なので、、、

もちろんパリ在住の人すべてがファッション大好き人間ではない

あえて言うが在住の住民の多くはファッションには関係のない人々であり

パリをおしゃれな街にしているのは訪問者のほうが多いのも事実である

パリジェンヌにあって日本人にないものおしゃれとは小林麻美奇跡の登場

二も書いた内容である

自分だけのオシャレをつかむ

最後に短くまとめたい

時分だけのお洒落をつかむ方法は

自分を好きでいて

自分の服を好きになり

自分の好きな自分と服を結びつけることである

それにはまず

自分を好きになること

そしてほくを好きになること

当たり前なことを言っているようであるが

毎年他人が作ったトレンド(流行)を

追っかけまわしているような族には

死ぬまでできないことである

早く自分の中の自分だけの流行を探し出す

そして自分だけの唯一無二のお洒落を構築する

これこそが

魂に着せる服装術

である

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