スタジオVの時代入江末男の世界とパリのケンゾーの関係とセンスが80年代の原宿を作った

デコドルフィンの作品が買える店
デコドルフィンの作品が買える店
入江末男

http://decodolphin.net/iketerumanabi/

1980年代の原宿はデザイナーズブランドであふれていたんだけど

いわゆるJC(ジャパンカジュアル)とかEC(ヨーロピアンカジュアル)とか言っていた時代

AC(アメリカンカジュアルもあった)そんな原宿ファッションが生まれたのはやはりヨーロッパの影響が最初は在った

日本では1960~1970年代のJUNやVANの時代の後の話だけど

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原宿のファッションは

1980年代は

日本のファッションBRANDのある意味幕開けだったからね

高度成長時代に負けないくらいに原宿成長時代ってことで(笑)これマジな話

だって新宿は時代で言うと江戸時代みたいな花があるけど

渋谷はただうるさいだけのゴミ箱みたいなもんでどうでも良いけど

原宿は田舎の何も無い所に人が住み着き育て上げた里山みたいなもの

恵比寿は古い下町

代官山はハリウッドランチマーケットとヒルサイドテラスだけしかない子じゃれた富裕層の街

だからあのころは

順番で言うと浅草→新宿→原宿で爺ちゃん父ちゃん僕ってことで

日本橋→銀座→青山みたいにお高くなくて庶民派モダン地帯アートやロックが似合って

しかも原宿には六本木みたいなバタ臭さが無い

だから東京ファッションが生まれたんだね

StudioVスタジオVはそんな中で生まれたんだね

StudioVOICE http://studiovoice.jp/の生みの親たからね

入江末男がパリのケンゾーから独立して

森英恵先生に誘われてスタジオVの服を作り出したのがきっかけで

そして

僕の人生をも変えた(笑)

チョット大げさだけど★

スタジオVには

須賀勇介?が美容室で

カフェもあったしキッシュが美味かった(笑)

高村光太郎の詩の朗読で始まるGOGOの郷ひろみと西城秀樹が出てた原宿舞台のドラマもあったな〜

当時のアイドルがみんな出演してたっけ「あこがれ共同隊」 っていうタイトルで

内容よりも僕はドラマの冒頭で毎回流す高村光太郎の詩が気に入って毎回見ていた

たしか郷ひろみの朗読だった記憶がある

高村光太郎の「天文学の話」

天文学の話  高村光太郎

それはずっとずっとさきの事だ。

太陽が少しは冷たくなる頃の事だ。

その時さういふ此の世がある為には、

ゼロから数字を生んでやらうと誰かがいふのだ。

さうか、天文学の、それは話か。

仲秋の月ださうだ、空いちめんをあんなに照らす。

おれの眼にはアトムが見える。

あの頃は次の世界のへの希望があったな〜★

1980年代の原宿は70年代のヒッピー文化に影響された若者たちが

もうちょっとおしゃれな生活をしたいな~みたいな

そんなファッション文化の幕開けなんだ

だから「金曜日は二人でワイン」みたいな

なんか西洋の文化に初めて近づけたような感覚だったように思える

そんな原宿にはスタジオVに代表されるような

衣食住をおしゃれにした店が続々と立ち並んでいた

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何といっても「表参道」がパリのシャンゼリゼ通りの縮小版みたいでよかったんだね

シャンゼリゼみたいに広く大きかったら原宿はこんな町にはならなかったと思うよ

道幅の広さと青山通りまでの距離もちょうどいい感じで、、、、

そんな原宿だからおしゃれな店が集まってきたんだ

スタジオVの隣近所の表参道沿いには

セントラルアパート(同潤会)があり住民が住む部屋以外はオシャレなブティックになっていた

古着屋のサンタモニカやシカゴ

カフェのバンブー

シルバーアクセサリーの走りのゴローズ

竹下通りは今よりもっと静かなたたずまいで

ブラームス通り何てなくて

そこらは普通の昔から住んでいる人たちのしもた屋さんが立ち並んでいた

住人は代替わりして土地が高騰したのでみんな土地売って出て行って

ファッション文化の街に様変わりしてしまったんだね

学生ファッションの走りの「ドゥファミリー」

粋な古着屋「赤富士」

こんな店がぽつんぽつんとあって

のんびり歩いてパレフランセまで行った思い出があるな

明治通り沿いには

ピテカントロプスがあり後にクラブDになるんだけど

ディスコというより今で言うクラブの走りのような

高度なハイセンスがさまよいまくっていた

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そんな原宿の80年代

何といっても森英恵ビルがあり

そしてスタジオVができて

森英恵がパリで活躍していた高田賢三の右腕だった入江末男を招いた

入江末男は日本ではほとんど知名度がないが

パリではケンゾーブティックをやめて

独立して作った「IRIE」イリエは大人気

そんな入江末男はどんな仕事をしていたのか

僕も内部の人間じゃないし詳しくは知らないが

スタジオV時代にテキスタイルの手伝いを少しやらせてもらって感じたことは

とにかくこだわる

色やマテリアル(素材)などにね

別に良いものを使うとかそんなんじゃなく

自分にこだわってる

自分の感性にという意味

だからケンゾーではカットソーも含むニット全般を任されていたらしく

ケンゾーのブランドカラーは

高田賢三と入江末男で二分していたことになる

そんなすごい存在なんだ

日本人はケンゾーブランドの凄さを知らない人が多い気がする

日本に入ってくるケンゾーの服はほんの少しだけだから

パリのケンゾーブランドを本店なんかで見ちゃうと

ぶったまげるからね

コシノジュンコと一緒にケンゾーのパリ本店に行ったことがあるけど

その時にケンゾーという人のことを少し聞いたんだけど

(コシノジュンコと高田賢三は文化で同期)

高田賢三はとにかく腰が低い人で

「有名になってもケンちゃんはケンちゃんのまま」だって

そんなこといってた(笑)

ケンちゃんはトランスジェンダーだよ(笑)

入江末男モネ!!

話がそれそうだけど

そんな賢三と末男は仕事の合間に世界中を廻って

気に入ったエスニックを片っ端から見て買って

そんな生活をしていたらしい

だからすごいインスピレーションがある服が作れるんだね

もちろん仕事に活かす目と腕があるからだけど

そんな入江末男をスタジオVのファッション分野に抜擢したわけだ

ハナエモリ先生がネ

80年代はいろいろな人がいろいろな角度で

日本に原宿に西洋文化をとり入れたわけだが

スタジオVの功績はその中でも際立っていると思うよ

人はあまり注目しないけど

トレンドの陰にはそんなプロの隠しワザが存在するッてことだね

今日はこの辺で、、、、、、

最後までThanks、、、、、、

………………………………………………………………
イケてる学び|入江末男について
http://decodolphin.net/iketerumanabi/

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コメント

  1. 天羽美知代 より:

    はじめまして。
    IRIEのサイトで秋冬の服を観てウットリと充実した休日を終えるところでしたが、久しぶりに入江末男で検索。以外な事に、幾つかの記事を見つけて散策。
    1955年生まれの私の記憶に重なる記憶をお持ちの方を見つけて何だか楽しい。更に入江末男派とは。
    最近日常着にしているHoMMEpLISSEというメンズプリーツの服を、何枚か持っているイリエデザインのstudioVの服➕以前青山の店舗で手に入れたIRIEの服と組み合わせたら、、どうなるんだろう、と実験開始直前の今日この頃。
    街「チョットあれ?どうなの?」というの見かけたら、私かもしれません。
    おじゃましました。ありがとう。

    • 正義の味方 正義の味方 より:

      始めまして。コメントありがとうございます。
      是非街でお見かけしたいです(笑)
      僕もスタジオVのレディースのシャツを買って着ていました
      今でもメンズやレディースにこだわらずに自由奔放の着こなしをしています
      そんな着こなしは入江さんに出逢えたおかげだと思います
      なんだか僕もうれしくなりました!!Thanks★★
      また、コメントいただけたらうれしいです
      ありがとうございました
              杉原