ニルヴァーナ(ニルバーナ)にあるアカシックレコードを知ってますか、僕は今までそんな言葉すら知りませんでした、白石一文の新作、記憶の渚にての記事を3回に渡って書いてきた僕が、今回はその最終回になる話をしたいと思っているのですが、全然別のところからアカシックレコードなる言葉を知りました、これがなんと記憶の渚にての話の内容と共通点あり在りなんですね、なぜなら人の記憶の集まるところ”クラウド”の正体が判明したからであるのです、この小説を超えた結論がここにあるとそう確信している今です、だからこの話を書きます
★
スポンサーリンク
★
今までの内容
はじめに今まで書いてきた記事を簡単にまとめることにしますね
一回目は
白石一文の記憶の渚にて|クラウドの中の自分の意識と思考というタイトルで
始めて白石一文を読んで彼の考え方に共感したことから始まり
人の記憶は人が死んでも失われること無しにクラウドみたいなところに集められるのであるというこの小説のとてもユニークな発想に敬意を表して書き進めた内容です
2回目は
記憶の渚にて意識は翼を持って僕の思考は自分から飛び立つというタイトルで
この世の中には目に見える物と目に見えないものがあり、物質といわれる目に見える物はいずれ消滅するが、時間と空間のようなものは目には見えないが半永久的に続くものであり、その両者を繋ぐものがある
それこそが一番大切なものであり時間と空間の中で生きる私たち生きものやあらゆる物質を繋ぐものである
それは”記憶の渚にて”のテーマでもある”意識”である
意識(記憶)は時間と空間と共にこの世の中が消滅するまで存在し続ける目に見えない大切なものである
こんな内容で書き進めたものです
3回目は
「記憶の渚にて」は短距離走の記録更新を証明している|人は潜在意識で生きているというタイトルで
2回目に書いた意識(記憶)は人が死んでもこの空間のどこかに残り続けるものである
という内容を証明する記事です
人の記憶(意識)は過去のものが受け継がれてゆくものであり
受け継がれることによって肉体も精神も進化し続けるものである
その証拠にスポーツや化学、そのほかのあらゆる分野が常に進化しているのであって
肉体が滅んでも意識や記憶は残されることの証明であるという内容で書いた記事です
そして今回は白石一文の”記憶の渚にて”に登場する最大の謎である
クラウドの正体へと迫ってみます
★
スポンサーリンク
★
人の記憶は全宇宙の財産である
人の記憶は宇宙全体の共有物であり人は宇宙と同じ生命体である
そこには時間も空間も超越した物質ではないものが存在する
それが意識である
意識のない人間はいない
言い方を変えると
意識がないということは死んでしまったことになる
死んでしまったら意識もなくなるのか
いや、意識はなくなるのではなく人から離れて別の場所へ行くのである
肉体が死んでも意識は死なない
というより、肉体は意識を成長させるための物体であるということ
人の体が死んだ後は意識は残るのです
どこに残るのか
というより物としての肉体が無くなったのに
どうして意識が残るなんて言えるのか
そして
人はなぜ自分が想像しうる範囲内の物事しか信じないのか
人はなぜ具体的な物事しか信じないのか
目に見えるものは世の中のほんの一部分
僕たち人間は3次元の世界に住んでいる
3次元とは宅急便の荷物のサイズではないが
縦横高さの3つの方向性(ベクトル)のもとに成りたっている
それが目に見える物である
しかし世の中には目に見えないものがたくさん存在する
僕たち人間の意識は目で見ることを含めて五感で感じ取っている
目で見る
鼻で嗅ぐ
耳で聞く
口で味わう
手(体)で触れる
という具合にである
そして僕たちの意識はもう一つの感覚を持っている
それが六番目の感覚である
直感である
直感は見たり、嗅いだり、聞いたり、味わったりという表現を普通はしない
直感で感じる
では感じるとはどこで感じるのか
頭なのか
心(心臓?)なのか
頭のような気もするし
いや、頭なのかもしれないが
頭というより脳であるかもしれない
でも、この直感というものは
ほかの五感と違い
具体性がない
具体性というのは体で感じることができることである
だから人は自分の体を通して得た情報を
感じ取り
信じることができるのである
自分が実際の経験したことであるからだ
しかし直感(第六感)はちょっと違うのだ
自分が感じたことにもかかわらず
具体的に見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったりしたことではないので
半信半疑なのである
自分が感じたくせに
なぜならば、具体的ではないからである
見たものに対しては自信を持てるが
感じたものには自信が持てない
抽象的だからである
自分が感じたくせに
抽象的なのだ
証拠を見せろといわれても
証拠がないのである
曖昧なのである
第六感は、、、、、、、
しかし僕らは時間とか空間とかが存在していることを知っている
目に見えない癖に
匂いもしないし
味もしないし
音も聞こえない
時間と空間には何もない癖に
僕らは時間と空間の存在を確信している
なぜだ??
それは、体を通して経験しているからである
僕らの体は間違いなく時間と空間の中で生活しているからである
ものではないのにその中に置かれているから
僕たちは時間と空間の存在を認めているのだ
人は宇宙に存在する物質の1%だけしかわかっていないとか
宇宙の物質の99%は暗黒物質だ
などという
ダークマターだの、暗黒星雲だの、ブラックホールだの
人が確認できていないモノが99,9%もあるともいわれている
そんな宇宙であるのにも関わらず
なぜ僕たちは自分で確認できていないものを信じないのか
地球人としての知識外のことがらがこの大宇宙の大多数をしめているのにもかかわらず
自分の体で理解(体感)できる0,01%の物事しか信じていないのではないだろうか
信じていない99,9%のものが存在しないと宇宙は成り立たないという
そんなことがわかってきているにもかかわらず
見えないのものを認めないのは
あまりにも浅はかであり無知なことではないだろうか
だから僕は第六感こそが人の意識の中で大切なモノだと思う
意識には物質という実態はない
しかし意識は生きているのである
形をあらわにしなくても
間違いなく自分の体の中で意識は生きているではないか
直感を信じる
「考えるな!感じろ!」「Don’t think. FEEL!」
これはブルース・リーが燃えよドラゴンの中で言った有名な言葉です
「直感(第六感)を信じろよ、頭で考えるな」ということですね
言いかえれば想像力を膨らませて
自分の頭の中だけではなく
もっと大きな視野でものごとを判断しなきゃダメだよ
ということなのですね
映画の中のこの言葉には続きがあります
“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”
“考えるな!感じろ!それは月を指差すようなものだ。指を見てちゃ栄光はつかめないぞ!”
ブルース・リーはこのように話しています
僕の解釈ですが
視野を広げて目的に向かって突き進め!そうしないといくら君が月を指さして進んでも
指している指先を見つめているだけでは進まないぞ
目的である月を見ろ!!
ということですね、、、、
五次元の世界
僕らの住む三次元の世界は五次元の世界の中に含まれている世界らしい
らしいという言葉を使ったのは
僕の学識では想像できない分野であり
僕の頭脳では説明されてもただうなずくしかない
でも、僕は僕の想像外の五次元の存在を信じる
そのほうがこの宇宙の広さや未知のことなどを想像するのに適していると思うからである
ハーバード大学にリサ・ランドール博士という理論物理学者がいる
彼女は2007年のタイム誌で世界で最も影響力のある100人に選ばれた人であり
とても優秀な研究者なのである
そのリサ・ランドール博士が書いた論文で物理学の世界で最も多く引用されているものがある
その中で
三次元世界は、縦、横、高さで構成されています。それに時間と五次元方向への距離がある世界が五次元世界だ
なんだかわかったようなわからないような話なのであるが(いや、僕にはまったくわかりません)
そして
高い次元の世界から見た僕たちの三次元世界の存在は
膜にぴったりと貼りついた世界に見えて
僕たちはその上を移動はできるが外の空間に飛びだすことはできない
らしいのです
なるほど、、、、、、、、
要はそんな高次元の世界が存在すると、、
そんな研究が進められているとのことです
五次元があれば解決できる様々なこと
今の地球人にとっては実感できない五次元という存在
それはまさに
今の地球人にとっては抽象的なことかもしれない
具体的に地球人の前にあらわにされた実態が無い事がらである
しかし人は宇宙の99,9%を知らない
そんな無知な生き物である人間が
五次元なんてあるわけ無いだろ
という方がよっぽど馬鹿げた考え方だと思わないか
たとえばUFOが現れた
たとえばピラミッドの作り方
たとえば超常現象が起きた
こんな話をするとスピリチュアルな話とかオカルトチックな話とか
そんなふうに思う人がいるかもしれないが
実際のところ
僕はUFOを見たことがあるし
ピラミッドを昔の人が作れないと思うし
セロやMr.マリックや引田天功でもできないような超常現象も実際にあるし
これらの現象は五次元が存在すればすべて解決することである
時間と空間に縛られない世界
以前読んだことのある記事をを思いだした
ひふみ神示(日月神示)の研究の第一人者の中矢伸一氏の会報誌
「たまゆら」にこんなようなことが書いてあったのである
引用文としてここに記述させてもらう
私たちの住んでいる世界は物質世界であり時間軸というものがあるが、物質世界以外の宇宙では時間という概念が存在しない
文章は正確ではないのだがこんなような内容のことが書いてあったと記憶する
正直言って僕の能力の範ちゅう外であり想像を絶するのであるが
いわんとすることは理解できる
要は、物質が存在しない世界(宇宙)もあるということである
パラレル世界とか多宇宙とかマルチユニバースとか言う
僕らの存在しているこの宇宙以外の
まったく別の宇宙が存在するということなのか
それとも僕らの住むこの宇宙はそれらの宇宙の中のほんの一部分なのか
さらにもう一つの画期的な論理がある
かの有名な物理学者のアインシュタインの理論だ
時間の空間は関連性を持っていて
さらには空間は普遍的なものではなく
ねじれたり、曲がったり、歪んだり
臨機応変な動きをしている
空間は目に見えないので人には実感がないのであるが
宇宙の回転は宇宙空間のねじれを生じさせているということらしい
この事実はすでにジャイロスコープ(回転体)による実験で
実証されているらしいのである
いずれにしても
五次元は
まだまだ色々な事柄の世の中の不思議な現象を
解決してくれることになる
さて本題に入りましょう
それでは記憶とはどんなもの
冒頭で紹介した記事にも書いたが
記憶は白石一文によるとクラウドに保管されている
人の意識を含む
動物に限らず植物に至るまで
生物は生きているので意識を持っているはずである
これらすべての生き物は個々の個体が死滅すると
その意識は記憶として保管される
その保管庫がクラウドであり
新たな生命が誕生すると保管されている記憶は
新しい命に組み込まれるのである
いわゆる生き返り、よみがえりである
それらの現象は
生きもの以外の静物(石ころや水や土など)や
さらには
星や宇宙のような大きな物体(存在)にも同じように当てはまるのではないだろうか
人と生物や静物は
宇宙全体を構成されているあらゆる物質(成分)と同じ物で構成されているのであるから
しかもそれらの物質が持っている記憶というものの実態は
いったい何者なのか
記憶とは物質以外の実態(形)を持たない
物質以外のモノなのか
先に述べたパラレル宇宙のようなものが存在するのであれば
記憶が存在する物質が存在しない宇宙があってもおかしくはないのだ
記憶のある場所
ダークエネルギーが発見されて時間が浅いらしい
それは宇宙空間の70%以上をしめているという
ということは人がまだ発見できていない99.9%の中の大多数をしめていることになる物質なのか
いや物質と呼んでいいのか
宇宙が静止していなく
宇宙は膨張している
この理論に基づくと
宇宙はどんどん膨張して
やがて原子までもが破裂して
やがて宇宙の万物が引き裂かれるという
ビッグリップだ
ビッグリップ(英: Big Rip )は、2003年に公表された宇宙の終焉についての仮説である。 恒星や銀河から原子や亜原子粒子に至るまで、宇宙の全ての物質は、宇宙の膨張のために未来のある時点でバラバラになる。 理論的には、宇宙の計量は、有限な時間で無限大になりうる。
ビッグリップ – Wikipedia
宇宙フォログラム説というものがある
物理学の新理論だ
僕らの生活しているこの3次元は
2次元に記録されている面体であるフォログラムを3次元に投影されたものだ
という説であり
この3次元の世界はフォログラムなのである
そのカギを握るのがブラックホールだということである
ブラックホールはすべてのものを飲み込む
ブラックホール内では呑みこんだすべてのものを保存している
しかもブラックホールには表面と内部の二か所の保存先が存在する
表面にはフォログラム上の2次元的な形態で
内部には3次元の世界と同じ状態で保存される
ブラックホール内の空間ではブラックホール外の法則と同じ法則が働いていて
内部に保存された情報は表年の情報を伝って描きだせるのである
いわば、表面の情報はコンピューターのハードディスクに保存された情報と同じように
2次元で表示されるアイコンのようなもので目次のようなものである
ブラックホールの表面を見ればブラックホール内の情報を確認できるのである
そして引きだすことができるのである
三次元の世界の情報(存在)はフォログラム上の幻影(まぼろし)だということになるのだ
当然、記憶はその中に保存され自由に出し入れできることになる
時空間レンズとしてのブラックホール
時空間レンズ(Spatiotemporal lens)はブラックホールのことであり
記憶も保存することができる
物体と一緒に保存できるということは生きたまま時空間をまたいで記憶と体も一緒に行ける可能性があるということだが
生きたままの状態で体ごとブラックホールに入り込むというよりは
記憶が保存されると考えたほうがいいのかもしれない
それはもはや三次元ではない世界であり五次元の世界になるので
体ごとといっても想像を絶する違った形態になる(見える)可能性があるからである
いや、もしかしたら三次元のまま時空間の歪みによってそのままブラックホールに着地できるのかもしれない
ただ、いずれにしても人や生物の肉体は、その旅の過程や環境に耐えられるのか定かでない
この図はブラックホールの実態をわかりやすくするためにビジュアル化してみたものである
このようにパソコンのハードディスクやクラウドのように
アイコンを目次やインデックスがわりに使える二次元表示されるブラックホールの表面
と
実態である三次元形式で保存されるブラックホールの内部
これらの情報はインデックスを確認して内部の必要な情報を指定して
表面のアイコンを通してフォログラムとして宇宙空間に表示(持ち出し)することができるのである
まとめとして人が永遠に旅をする意味を考える
肉体という名のものが果たしてどんな意味を持つのだろうか
意識が肉体から次の肉体へと旅を続ける
いったいどれくらいの時間
今までに旅を続けてきて
これからどれくらいの時間
意識は旅を続けるのだろうか
もしかしたら今の人間が生命として誕生する前から意識は存在していて
僕らの意識は全く違う過去の生物から受け継いでいるのではないだろうか
そして意識の存在は
- 新たな記憶をプラスしながら常に情報を書き替えながら
- しかも過去のデータもちゃんとブラックホールの表面と内側に保存しながら
- 時という概念と空間という概念なんか意味のなさない全く違う世界に存在しながら
そう考えることが一番自然なのかもしれない
ただ今の僕が言えることは
間違いなく神(そのような存在)は存在していて
宇宙空間そのものが
神であり
知性であり
万物の母体物質である
そして
とてつもなく美しいということ
これだけははっきり言える
そしてそのように信じることが
次の世界へ
つながる意味ではないだろうか
スポンサーリンク