今、荒井由実の”ひこうき雲”を聴きながらこの文章を書いている
僕はあのころも荒井由実のデビューアルバムを聞いていたのだろうか
高校3年が過ぎ去り
新宿から八王子の心象風景を経験しはじめたころのことである
1976年のことだ
たぶん聴いていた
それと中村雅俊の俺たちの旅
ベルベットイースターもだ
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100万歩あるいてもこれだけは絶対に忘れない
あんど
絶対に譲れないことことがある
それは
ぼくは愛を信じていた
間違いのない確信の愛をだ
それはそこにあった
僕の手もとにあったのだ
俺たちの旅を実際に聞いていたのは高校時代だったかもしれない
八王子にある美大に入ったそのころの僕は
高尾のアパートで実践していた
もちろん俺たちの旅を実践していたということだ
ドラマに似た生活ということではなく
匂いが似ていたのだ
そんな生活に浸っていた僕は
中村雅俊の俺たちの旅を聞いている暇なんかなかった
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これは荒井由実のベルベットイースターにも言えることだ
僕は高校時代にベルベットイースターを聞きまくっていた
高尾の風景は僕にとってベルベットイースターを思い起こさせてくれたので
何もターンテーブルにレコード針を落とすまでもなく
僕は愛を満喫しながら心でベルベットイースターを奏でることができていた
そんな記憶が今でも間違いなく僕の青春を刻んでいる
借りていたアパートから学校に行くまでの道で
僕はベルベットイースターを満喫していたのだ
心象風景そのものがその曲でいてくれたから
ただそのころの僕にはどうしても欲しいものがあった
生活に満足していたのかもしれない18歳の僕に
どうしても欲しいものがあった
それは宇宙的な愛
とても抽象的に聞こえるかもしれない言葉だが
僕にとってはかけがえのない大切なものである
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そのころの僕は
宇宙的な愛を探すために
そのために
八王子にあるこの美大に来たのだから
しかし宇宙的な愛を探すことは
とりとめのないことであった
まるで水の中にある気泡を手ですくい取るようなことであり
手につかんだ瞬間に宇宙に逃げてゆく童夢の形をしていた
僕は今でも探し続けている
とりとめのない”宇宙的な愛”を
そういえばムーディーブルースのアルバム”童夢”の話をするのを忘れていた
これは次の機会にしよう
1976年の八王子の空気は俺たちの旅とベルベットイースターが似合うから
僕はこうして1976年の八王子の空気を満喫しながら新しい旅を始めた
そこにはいつも
ひこうき雲と
俺たちの旅と
ベルベットイースターが
僕に寄り添ってくれていたのだ
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